定時通報
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定時通報−目次
第26報 2003年04月06日(日)
第27報 2003年04月13日(日)
第28報 2003年04月21日(月)
第29報 2003年04月27日(日)
第30報 2003年05月04日(日)
第26報 2003年04月06日(日)
今週は面白い行事がたくさんありました。まずは3月30日のサマー・タイム(夏時間)開始です。
スウェーデンでは、3月の最終日曜日に時計の針を1時間早めます。これによって、日本との時差が8時間から7時間になりました。次の日にはすでに、学校中の全ての時計が直されていて驚きました。最近では、朝5時過ぎに明るくなり始め、
夜9時前まで薄日が残る程なので、この制度の必要性が身に染みて分かります。これから更に日が延びるということなので、
きちんと生活のリズムがとれるか心配です。
4月1日はエイプリル・フールでした。朝の会で早速クラスぐるみのいたずらに遭いました。「ユリアのお母さんから電話があって、
彼女の頭にシラミがいたそうです。シラミは他の子にもうつるので、今からクラス全員の頭髪を検査します.」と担任が説明し、
「カンペイ、悪いんだけど手伝ってくれる?」と尋ねてきました。分かっていたのですが、半分真面目にシラミ検査をしていたら
「アプリール・アプリール♪(スウェーデン語でエイプリル(4月)の意)」と子どもたちが歌いだして、ネタ明かしということになりました。僕のリアクションが気に入ってか、他の先生たちにはもっと入念に準備してからかっていました。先生たちも、
職員室で作戦を練ってから「出動」という感じで、学校中が異様な興奮に包まれていました。
この日のGoteborg Posten(地元有力新聞)の一面には、「国教会に加入していない人は、祭日も働かなければならないとする法律が国会で可決された」
という記事が大々的に出ていました。もちろんこれもいたずらですが、町の至る所でこのようなものを見かけました。
木曜日には実習校の6年生とハイキングに出かけました。近くの農場まで歩いたのですが、日和もよく、とても気持ちが良かったです。
英語の時間を潰して行ったので、「途中の会話は英語のみ」という制限つきでした。
土日はよしくんと、スウェーデンの南部にあるルンドとマルメに行ってきました。土曜日は寝台車を改造したユースホステルに泊まり、
学園都市として栄えるルンドの町を見て回りました。日曜日はマルメ大学の学長一家を訪れ、1年半ぶりに再会しました。
この家族は、一昨年の秋に留学の準備でスウェーデンに来た際、ホームステイをさせてもらいました。毎週月曜日と火曜日に行っている
学校も、息子のオシアンのつながりで実習させてもらっています。オシアンは前に見たときよりもずいぶん細くなり、背も伸びていました。
来週は、木曜日からスイス・イタリア旅行に出かけます。スイスでは現地の小学校を見学させてもらう予定です。
体重制限?? |
マルメでオシアンと再会
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第27報 2003年04月13日(日)
多忙な生活の疲れを癒すべく、木曜日からスイス・イタリア旅行に出かけました。
スイスではWCBFで面倒を見たマヌエルの家庭にホームステイをしました。
金曜日はマヌエルの通うスイスの学校を1日見学させてもらいました。
朝は7時から授業が始まり、午前中はフランス語、ドイツ語、数学の授業の後、近くの室内プールに移動して
水泳の授業がありました。スイスの学校は給食が無く、基本的に家庭に帰って昼食をとります。
この日は授業が詰まっていたので、弁当を持って出かけました。午後はアーチェリーと美術の授業がありました。
水泳やアーチェリーの授業では、1年間ずっと同じ種目を教わります。この日の水泳は、「水中野球」でした。
アーチェリーは僕もやらせてもらい、飛び入りの分際で3位に入賞してきました。センスがあるのかも。
土曜日には、教育史上の著名な人物、ペスタロッチの始めた学校(ノイホーフ)を訪れてきました。
ペスタロッチはチューリッヒ近くの小さな村で、自分の財産をはたいて教育施設を建て、
全ての子どもたちがもれなく教育を受けられる方法を思索しました。教員養成の機関を初めて作った人だともいえます。
18-19世紀のことなので、施設も当時のままというわけにはいきませんが、ノイホーフをはじめとする3つの建物は
今も残っていて、少年厚生施設として使われていました。
この日の午後と、日曜日はスイスの大自然、アルプス山脈へドライブに連れて行ってもらいました。
標高は2000メートル級と、それほど高くないのですが、ごつごつした山肌と層を成す雪はとてもきれいでした。
アーチェリーの授業 |
スイスの大自然
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第28報 2003年04月21日(月)
楽しい思い出満載のスイスの後にし、月曜日の朝には電車でイタリアに向かいました。
まさに『世界の車窓から』で、大自然を満喫しながらの道中でした。・・・と言っても、大半は寝ていましたが。
イタリアは、「すりに気をつけろ」と散々脅かされていたのですが、何事も起きませんでした。
ヴェニス(ヴェネチィア)は細くて入り組んだ路地が気に入り、行く当ても無くうろうろ歩き回っていました。
一人旅だったので、ちょっと歩いては路肩に座り本を読み、気に入った景色があればボーっと眺める、といった感じで、
ゆったりと回ってきました。
水曜日はヴェニスで宿がとれなかったので、夜行列車でローマへ行きました。ローマでは、中学の教科書で見て以来、一度は
行ってみたいと思っていたコロッセオ(コロセウム)に直行しました。コロッセオの概観は「まさしく」でしたが、内部の構造は
想像していた様ではなく、ずいぶん雑然としていました。ここでもボーっと何時間もかけて回ってきました。次の日は一日かけてヴァチカン市国を楽しんできました。一日中ゆっくりゆっくり博物館を回り、ヴァチカンのまわりを歩いて一周し、
よくテレビで見るサンピエトロ寺院を見てきました。この日はイースタ前ということもあり、観光客も多かったです。サッカーの中田の試合があるというので、金曜日はパルマへ移動しました。ヴァチカンやローマの人の対応がとても冷たかったので、
田舎町のパルマの温かい人たちに感動しました。中田は、土曜日の試合では先発で出場し、後半20分で交代しましたが、内容はいまいちでした。
同じ試合を見に来ていた日本人と知り合いになり、夕食を一緒に食べました。
やっぱり一人旅は寂しいなぁ、と思いつつ、日曜日にはヨテボリに帰ってきて、よしくんとゆみこと、きくこちゃんを部屋に呼んで
遊びました。
さてさて、留学期間のリミットが近づいてきました。数えたところ、残り15日しかヨテボリにいないことが分かり、かなり焦り気味です。
ヴェネチィア観光 |
パルマ対トリノ戦を観戦
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第29報 2003年04月27日(日)
長い連休の後で、久しぶりに子どもたちに会いました。日焼けしている子も何人かいました。
今週から、実習校では"Tidningen Projekt"が始まりました。
5年生と6年生の3クラスを統合して、5〜7人の小グループを編成して、各グループごとに割り当てられたテーマの
新聞を完成させます。今後3週間、実技教科を除く全ての時間割を「白紙」にし、このプロジェクトの時間に充てます。
子どもたちは、「エコノミー」「スポーツ」「自然」などのテーマが指定され、それについてアンケートやインタビュー、インターネットでの検索
などをして記事を書きます。
今回のプロジェクトは、僕が帰国するのにあわせて、先生方が企画してくださったようです。
出来上がった新聞は全て日本へ持ち帰らせてくれるそうです。子どもたちも、「日本の子たちが見て面白いと思う記事」にこだわっています。
僕は、この3週間の活動と、教師と生徒へのインタビューをビデオテープに収めていく予定です。
「エコノミー」の課題が与えられたグループは、早速校長室へ行き、インタビューのアポを取りました。「金曜日の10時半から30分間」の
予約を取り付け、それまでに「10の質問」を考えよう、と言うことになりました。1日の殆どをこのプロジェクトに使っていますが、どのように活動するかは子どもたちの自主計画に任されています。
土曜日は日本人会の会長さんのお誘いで隣町の博物館へ行ったりしました。今日はすーさん(日本人学校のまとめ役)の息子と旦那さんが
バーで演奏するというのでお呼ばれしてきました。
本物の人骨とツーショット |
ライブに誘われました
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第30報 2003年05月04日(日)
今週も殆どがホリデーでした。ポーランドのアウシュビッツに行こうと計画していましたが、移動に時間とお金がかかるうえ、
3日ほどしかいられないので、キャンセルしました。それならば、と残り少ないヨテボリを満喫しようと思ったのですが、あいにくの雨に元気もなくなり、結局だらだらと過ごしてしまいました。
水曜日はチャルマーシュ工科大学の文化祭があり、アベニュー(目抜き通り)でのパレードを見に行きました。
「ヨテボリ最大のイベント」と豪語するカールの言も確かなもので、「どこから湧いてきたんだ」という人の数でした。
パレードは50台の山車が参加し、トラックの荷台に今年1年間で起こった時事をネタに見世物をしていました。
トラム(路上電車)が衝突事故を起こしたことや、高カロリーなハンバーガーが原因だとして訴えられたマクドナルドなどが揶揄されていて面白かったです。
木曜日はよしくんと功くんとで近所の遊園地へ行ってきました。ここではまたもやアクシデントが続出し、疲れて帰ってきました。
まず、新しくできた総木造のジェットコースターに乗ろうと列に並んですぐに、大雨が降ってきてコースターが止まってしまいました。
少しして雨もおさまり、コースターに乗ることができましたが、乗っている最中、コツンという音がしてなにやら落ちました。なんだろうと思っていたら
、ビンゴで僕の携帯電話でした。僕の愛しい携帯電話くんは、無残にもコースターの下で部品毎にバラバラになっていました。
携帯は諦め、次のアトラクションに乗ったのですが、そこでは遊園地の回数券を見事に風に流し、やりたかったルーレットもできず終いでした。不幸は続くものですね。
金曜、土曜はとーっても暇だったので映画を見に行き、今日は伊藤さんとよしくんと飲みに出かけました。
チャルマーシュのパレード |
Lisebergの最新コースター
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