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第11報 2002年12月26日(木)
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第15報 2003年01月19日(日)

第11報 2002年12月26日(木)

 旅行から帰ってきました。ポストを開けると子ども達からのクリスマスカードが届いていて、旅の疲れも忘れて読んでしまいました。やっと現実世界です。
 北緯68度の都市、キルナでは、犬ぞりに乗り、寒さに震えながらもオーロラを見ることができました。一日中真っ暗な土地なので、娯楽がほとんど無い簡素な街でした。バスに乗ってアイスホテルにも行って来ました。彫刻家の仕事場に遭遇し、僕たちも彫らしてもらいました。氷は意外にやわらかく、彫りやすかったです。ここには日本人の彫刻家もいて、少しお話をしてきました。
 ストックホルムでは船の中に泊まり、ガムラ・スタンや王宮などをまわってきました。ノーベル賞の授賞式が行われる王宮と、そのすぐそばにあるノーベル博物館、晩餐会が行われる市庁舎、受賞者の定宿となっているグランド・ホテルをツアーしてきました。無垢のまち、キルナから来たせいか、赤レンガの港町が目に新しく、印象的でした。歴史を大切にする気概が街並みに滲みていました。
 ストックホルムから夜行フェリーを使い、エストニアの首都、タリンと言う都市にも行きました。街の人々の無愛想さに驚かされましたが、昔のまま残る城下町の並びがとても気に入りました。旧ロシアの国なので、独立時の戦闘による破壊跡が生々しく残っている場所もありました。今では、国外の文化を盛んに取り入れていて、元気が良いように見えました。タリンでは、ちょっとしたアクシデントが多発しました。タリン行きのフェリーの空調が悪く、ものすごく寒かったり、泊まろうと思っていたユースホステルが改装中で閉鎖されていたり、帰りのフェリーが出港しなかったり・・・ どうやら「たたられた」みたいです。
 この呪縛から逃れようと、ようやくヘルシンキに着いた時、タリンで買ったお酒が割れ、鞄がびしょびしょになってしまいました。はぁ、恐ろしや。ヘルシンキでは、クリスマス休みのため、すべての店が閉まっていて、何もできませんでした。
 今日から親族8人がスウェーデンに来ます。オペラ鑑賞や、コペンハーゲン観光に連れて行こうと思っています。
兵隊さんもびっくり
若気の至りということで
寒くなかったら住みたいんだけど
タリンの夕焼け
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第12報 2003年01月01日(火)

 あけましておめでとうございます。昨年から留学生活が始まり、毎日充実した生活を送っています。日本のみなさんが恋しくなることも多いですが、残りの5ヶ月間の貴重な時間を有意義に過ごして、大きなお土産を作って帰りたいと思います。帰国後は教育実習と教員採用試験が待っています。今年も多くの方にお世話になると思いますが、どうぞよろしくおねがいします。

 家族といとこが遊びに来ています。市内を見せてまわりたいのですが、直前のオーロラ旅行の疲れが残っていて、なかなか案内できずにいます。もともと「何も無い」と評判のイェーテボリなので、これぐらいで丁度かもしれません。
 そんな中でも、月曜日にはアイスホッケーの地元最強チーム、「フロールンダ・インディアンズ」の試合を観戦してきました。スウェーデンでは、アイスホッケーがとても人気で、子どもから大人まで夢中になっています。なかでも、ここら辺ではフロールンダのファンが多く、実習先の生徒もロゴ入りのマフラーやユニフォームをよく着てきます。ところが、われわれ日本人の一味は、そんなことは全くお構いなく、と言うより、ルールも分からず、最高の位置から「何が起きているのだ??」というレベルで観戦していました。チケット売り場で悲壮な顔をして並んでいるファンも沢山見かけたのに...地元の皆さん、本当にごめんなさい。試合は、地元チームが3-1で勝利して、内容のあるものでしたが、乱闘すれすれの場面もあり、迫力満点でした。
 大晦日にはオペラ鑑賞に行ってきました。"Rosenkavaljeren"という、タイトルの意味すら分からないオペラでした。劇はすべてドイツ語でした。スウェーデン語の字幕が舞台上方にテロップで流れるのですが、誰も全く意味が分からず、最後まで登場人物の役柄を理解できませんでした。まわりは着飾った紳士淑女ばかりで、まるで社交界でした。白や赤のシャカシャカしたコートでうろうろしている我々アジア人はかなり浮いていました。やはりオペラは身の丈に合っていませんでしたね。
 今日は日本人留学生と、日本語が喋れるスウェーデン人、総勢23人が狭い部屋に集まり、「正月パーティー」を開きました。林家と福山家が日本から持ってきてくれたお餅やおせちと、みんなが持ち寄ったスウェーデンの料理とで楽しみました。一部の人は、百人一首や人生ゲームをして遊んでいました。スウェーデンでは大晦日に年越しパーティーをする習慣があります。このパーティーでは、みんなで花火を持ち寄り、カウントダウンをしながら打ち上げ、賑やかに新年を迎えます。昨日の夜は至る所で打ち上げられ、360度パノラマ花火ですごくきれいでした。
アイス・ホッケー観戦
親戚一同が滞在中
ドイツ語で意味不明
オペラのクライマックス
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第13報 2003年01月05日(日)

 木・金と、家族と一緒にデンマーク観光をしてきました。早朝の電車に乗り、「世界の車窓から」を夢見ながら(実際僕はほとんど寝ていた)、コペンハーゲンへ行きました。観光案内所で、衛兵交代が行われるということを聞き、「世界最長の歩行者天国」を競歩の如く急いで突っ切りましたが、結局は時間切れで諦めました。とりあえず、と入ったレストランがとても高級な店で、みんなで緊張しながら昼食をとりました。昼食後は「セーターを買いたい」という母親姉妹の希望で、自由行動にしました。僕と妹はギネス博物館へ行き、「世界一太い人」とか「世界一背の高い人」の原寸模型を指さして笑ってきました。
 翌日は、デンマークとスウェーデンの距離が最も近い町、ヘルシンゴー(デンマーク側)、ヘルシンボリ(スウェーデン側)へ行ってきました。ハムレットのモデルとなった城を見に行きましたが、吹雪いてとても寒かったです。あんな城で守衛をしていた兵士の気持ちは......荒んでいたことでしょう。遅刻常習犯の母親姉妹に惑わされ、寒さに震え、へとへとになりながらも、深夜にイェーテボリへ帰着しました。
 4日には仕事のある3人が先に帰国しました。残された5人は家具の大型量販店、IKEAへ行き、雑貨やお土産を買いました。夜はゆみことカールも呼び、「魔女の宅急便」上映会をしました。
 今日は家庭教師先のお母さん、カミラのお招きで、お昼をご馳走になりました。うちのお母さんはスウェーデンの家にお邪魔できて感激していました。日本人らしく写真撮影にも余念がありませんでした。夕方からはダニエル牧師とボーリングをして、夕食を一緒に食べました。
 明日には良平を除く4人が帰国します。今日はトラムも止まるほどの大雪で、飛行機が飛べるか心配でしたが、夜には無事に収まりました。何事も無く帰国できれば良いのですが。良平はストックホルム旅行を計画しています。僕は明後日から基礎学校での教育実習が始まります。冬休みもいよいよ終わりです。
寒かったヘルシンゴー
ハムレットのモデルの城
常に「おあずけ状態」の旅でした
最後の晩餐
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第14報 2003年01月12日(日)

 月曜日には残った家族の4人が帰国し、残すは良平だけになりました。僕は火曜日から実習が始まり、また忙しくなってきました。良平は火曜日から木曜日にかけて、ストックホルムへに出かけてきました。国立博物館やノーベル・ミュージアムを訪れたようで、初の海外一人旅を楽しんできたようです。
 金曜日に良平を実習校へ連れて行きました。同じ顔が二つで先生も生徒もびっくり。授業見学は生徒の気を散らしてばかりでちょっと申し訳なかったです。良平とは校舎を一通り案内した後、5年生の社会の授業と昼食にお邪魔し、午後は6年生の体育を見学しました。
 土曜日は日本人会の新年会に行きました。書初めをしてお雑煮ときな粉もちを食べてきました。こちらでも、「今なら同じものをもう一つおつけして、なんとお値段すえおき!!」の双子兄弟に場内騒然。補習校の生徒達は「どっちが寛平先生??」とちょっと焦り気味でした。いやぁ、双子って素晴らしい。良平は今日の午後に帰国します。
 日本の大雪のこともニュースで目にしますが、今年のスウェーデンは少し寒すぎるようです。ヨテボリは今週、マイナス21度を記録しました。毎夕に雪が降り、それが冷え固まって地面はつるつるです。寮の前の木には樹氷が生えてい ました。
 世界少年野球大会(WCBF)で知り合ったオランダのマイケルに電話しました。6年生の彼は、そろそろ中学進学の準備をしなければなりません。受験苦は日本だけではなく、特にヨーロッパでは進路選択の時期が早いので大変です。彼はとても成績が良いそうで、「今日のレポートはクラスでトップだった」とのことです。将来有望??野球は今は寒いので、室内練習とランニングだけだそうです。マイケルのお母さんの話ではオランダでも今年は異常に寒いそうです。
-21℃を記録しました
樹氷です
同じ顔にみんなびっくり
良平を実習校に連れて行きました
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第15報 2003年01月19日(日)

 先週までの天気とうってかわって、今週は5〜7度と、プラス気温の暖かい日々でした。誰かさん(良平)が帰ったからかな?
 月火は5年生と6年生の3クラスで折り紙の授業をしてきました。はじめは全員で簡単な「箸袋」を作り、その後は好きな紙で好きなものを作る、というようにしました。 こちらの子はかなり不器用なので、簡単な「犬」や「紙飛行機」なども用意しておいたのですが、ほとんどの子が「かえる」や「鶴」など、難しいものに挑戦していました。Hjalp!の嵐でしたが、何とかみんな完成させることができて、とても喜んでいました。
 金曜日もこの学校の行事でスケートに行きました。スケート場に行く途中、7年生の子達が、「うちのクラスでカンペイ・ファン・クラブができたよ」と報告してくれました。最近は僕も授業をすることが多くなってきたので、そろそろフィーバーしだしたのかもしれません。 実習当初はHjalp!と上げている子でも、僕が行くと、「他の先生に聞くからいい」と言われることがありましたが、この頃は逆に指名してくるほどになりました。さてさて、これからが勉強です。スケートでは、さすがに北国の子、自由自在に滑りまわっていました。僕は上手な男の子達に、ホッケーの後ろ滑りを教えてもらいました。難しいと思ったら3回ぐらいでできてしまい、拍子抜けでした。しかし、いざホッケーの試合となると、結局1点も入れられず、レベルの差を思い知りました。
 水曜日は寮費の支払期限でした。今月はお母さん達が落としていったお金などもあり、楽に支払えましたが、来月は15万円を一括で支払わなければならないので大変です。しばらく清貧生活になりそうです。
 今日は日本人のバトミントンの会で新年会をやるというので行ってきました。日本人補習校の生徒のお母さんが誘って下さいました。鯨の刺身や豚汁、カレーライスなど、「来て良かった」と思うメニューがずらりと並びました。イェーテボリでは自動車工業(VOLVOなど)と電機(SONY-ERICSONなど)、それに歯科技術の関係で日本との交流があります。日本人会の方々は、スウェーデン人と結婚して、半永久的に滞在するか、会社や大学の研修や出張、留学などの短期滞在かのどちらかが多いようです。
さすが、北国の子
スケートに行きました
カルタを作りました
補習校での選択授業
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