|
|
新宅の叔父さんに連れられて、消防団の出初式にくっついて行った。
サイレンの音だけは派手に鳴らす村の人力消防車の後に付いて走って行くのだ。
火事の時と違って、大人も本気で走らないので、何とかついていける。
市川の東の河原には、いくつもの違ったハッピを着た他地区の消防団が集まってきていた。
当時は車の行き来の少ない国道2号線の南に面した土手の上から、消防車の群れが、競って放水の列を空に向けるのを見ていた。
人力消防車の放水は、自動消防車ほど高くはならないので、観客みんなが頑張れ、負けるなと声を上げる。
団員がキビキビと動いて、声をかけて、隊列を組むのもおもしろかった。
叔父さんは消防団の団長をしていたので、整列した一番前で号令などかけていた。
どう見ても隊員の中で一番チビで、ちっぽけな姿は、ぞくぞくするほど、誇らしかったものだ。
帰ったら、公民館では、いつものように、もち米入りのかしわご飯の炊き出しが待っていた。
おにぎりにして頂いたら、これがまた、何とも言えないほど、おいしかった。
お酒が入って、消防団の宴会は賑やかに続くのだった。
|
|
|
|
春日野のおばあさんが正月に見えたことがあった。嫁ぎ先の地名で呼ばれているが、この家の総領娘である。いつも、笑顔を絶やさない人で、声を荒立てたり、怒った顔を見たことがない。昔の媼の絵にあるような、総白髪で、着物のせいか、胸から腰にかけて寸胴の体型だった。おばあさんは、みんな、そんな体型をしているものだと思っていた。
藪入りの季節だった。自転車には乗れなかったので、小一時間ほどの道のりを、てくてくと歩いて来たのに違いない。そして、子供の一人一人に袋に入れたお年玉をくれた。あるいは、半紙のようなものにくるんであったのかも知れない。
中に入っていたのは五円ぐらいだったと思う。他の人から、どの程度もらっていたか分からない。当時、五円ではアイスキャンデーが買えたし、十円ならアイスクリームが買えたはずだ。とは言え、子供ながらに、期待した額からは余りにも少なすぎた。額が少なかったので、子供達は変な顔をしたに違いない。
「ご縁があるようにな。」とか、言い訳するように、おばあさんは、口ごもった。
多分、嫁ぎ先では、農家の嫁として現金を手にすることもなく、息子夫婦から小遣いとしてもらっている物の中から用意してくれたに違いない。実家に帰省するのに、何とか用意出来たものだった。
今だから思い当たる。子供は残酷な生き物だ。
|
|
|
|
「かど」と呼んでいる南の庭を、おばあちゃんが掃くとことから始まる。
まず、新聞紙を石油缶の中で燃やして、それを上下逆さまにする。
缶には、たくさんの穴が開いていて、その上から籾殻をかけると、火が燃え移る。
どんどんかけていくと、石油缶は完全に籾に埋もれて、籾殻色の表面からわずかに白い煙が立ち昇るだけで、火は見えなくなる。つまりは、富士山型に積み上げた籾殻の蒸焼きだ。
時々は表面まで黒くなった上に籾殻を注ぎ足したり、崩れかけた山を高くしたりする。
いがらっぽい煙が一日立ちこめて、籾焼きが続く。
焼いた籾は紛体の炭となるので、火鉢などで使う。
籾殻は、保温材にも、緩衝材にも使われた。そして、最後は燃料となる。
|
|
|
2008年01月27日(日)
|
034 冬のドジョウのつかまえ方
|
|
|
あぜ道の草は枯れて、用水路の水は流れなくなって久しい。
「ここ掘ってみ。」
川床は干上がって、泥が粘土のように固まりかけて、表面はひび割れ始めている。
よく見ると、1センチに満たない小さな穴が開いている。
あぜ道に腹ばいになっても、川床に手が届かないものだから、おそるおそる川床の端の方に足を下ろす。
固まっていて、意外にしっかりしているのに安心して、両岸に足を広げ、またぐ格好で掘り始める。泥は、黒いクリームだ。粘土よりもっと目が細かい。
ぬるっとした冷たい感触に、少しひるむが、手をスコップ代わりに掘り進む。
すると、粘土ではない空間の感触。そこを広げていく。
泥の下の狭い空間には無数のドジョウが群れている。ドジョウは腸呼吸もするので、水がほとんどなくても生きていけるようだ。冬眠ではないが、ドジョウの寝床。
手づかみでバケツに移す。
家に着く頃には、上着やズボン、顔にも泥がついて、乾いて白くなっている。
家では、「また、服を泥だらけにして。」と、小言が待っている。
|
|
|
2008年02月10日(日)
|
035 フナも凍る冬
|
|
|
よく冷えた冬の朝の楽しみは、氷が張ったかなと思いながら起きることである。
小溝の辺りでは、川全体を覆うように透き通った厚い氷が張った。
それは、どっしりとして、ガラスの様な透明感をもった一枚板となっていた。
氷の下には泡になって閉じ込められた空気の層があって、流れていく水が見えた。
厚さを確かめるのに、小石を投げてもびくともしない。
氷の上を、すーっと滑っていく。
足を載せると、みしみしという音を立てながら、持ちこたえていたものだ。
やがて慣れてくると、足を滑らせて、その滑らかな感触を楽しむ余裕が出てくる。
足元で氷の割れる不気味な音がすると、子供達は、いっせいに岸に駆け上がるのだった。
話は変わるが、庭の井戸端には、石の鉢があり、水を入れて小ブナを飼っていた。
ある時、全面に凍りついて、逆さまにすると、すっぽりと氷の塊となって落ちてきた。
氷の塊の中で、フナは完全に凍りついているようで、動きもしない。
仕方ないので、氷を塊ごと元の鉢に戻しておいた。
春になり、氷が溶け出すと、フナは何事もなかったかのように泳いでいた。
|
|
|
|
藁の火は、勢いよく燃え上がるが、すぐ燃え尽きる。
それでも、束ねたのを三股にして、地面に立てて燃やすのは好きだった。
麦藁は、ぱちぱちとはじけて燃えるが、藁よりもさらに早く燃え尽きる。
後には残り火もない、まるで、期待はずれだ。
藁は、燃えた後も、おきのようになって、かすかに残っているのがいい。
麦藁を打ち上げ花火とすれば、藁は線香花火だ。
寒い時には、山から持ち帰った木を燃やす時がある。
松は勢い良く燃えて黒い煙を出すが、火力が強く、とてもいい香りがした。
納屋を広げて屋根を作る普請があった。
覚えているのは、かんな屑の新鮮な匂いと、それを燃やす時の、いい匂い。
切れ端の杉板などを景気よく燃やして、「高橋の大工さん」がお尻をあぶっていた。
火力が強くて、やけどしそうに熱かった。
|
|
|
|
粉雪の舞う灰色の世界から抜け出してきた黒い塊みたいな二人。
小柄な男は、ほおかむりをして、ひげ面の日焼けした顔をしている。ほとんど足先に届くオーバーを着て、何度も水洗いした白い軍手で古びた自転車を押している。自転車のサドルにはカバーもしてなくて、雪が積もって、これまでに歩いた道の長さを示している。古ぼけたサドルも雪に濡れている。タイヤの跡が、新雪に深く刻まれる。
女は、日本手ぬぐいで頭を隠し、藍色の上着を身に付け、だぶだぶのモンペをはいている。確かに雪道は困るが、何事にも動じないといった逞しい身体を揺らせながら、自転車の車輪の跡を黙々と歩く。
雪で、全く見通しがきかない上に、もう夜が近づいている。二人は家に帰ろうとしている。だが、家はどこだろう。吹雪で、吐く息も見えない。道路と思えるのは、平らなすぐ前を見て分かるだけだ。道の脇には蓮池などあるはずだった。道を踏み外す訳には行かない。
「あの時は、凍え死ぬかと思たで。」
「一寸先の目の前も見えんかったしな。」
というのが、おじいさんとおばあさんの会話だった。
|
|
|
2008年02月25日(月)
|
038 にわとりの元気の素
|
|
|
冬も半ば過ぎると、にわとりも元気がなくなる。
「青菜採りに行こか。」というので、おばあさんについて、田んぼに出かける。荷物は、わらで編んだかご。西瓜を入れても大丈夫なぐらいで、ショルダーバッグのように肩から提げられるので便利だ。
家並みから外れた田んぼの畦道まで行き、ほとんど枯れた草の間に緑色の草を探す。
タンポポの葉は、霜枯れで葉の端が赤く色づいたりしているが、よく目立つ。スカンポと呼んでいるギシギシの葉も大きい。ペンペン草と呼ぶナズナや茎で力較べをして遊ぶオオバコなども根元からカマで切り取る。それに見つかれば、田セリやこぼれ種から芽を出した菜の花など。畦にあるのを、片端から取ってかごに入れる。時々、カタツムリや小さな石を動かして見つかるミミズも鶏の大好物だ。
畦道の黒くなっているところは、畦焼きをした跡だ。
畦の夏草が立ち枯れて、枯れ草色になると畦焼きを始める季節だ。害虫の卵などを焼き尽くすためとか言っているが、本当は大人が遊ぶためではないかと思う。地面近くの草は、完全には燃え尽きず、虫が全滅する訳はないからだ。
畦道に火をつけて、燃え広がらせていくのは楽しい。導火線のように火をつなげて行って燃やしたり、種火の小枝を持って、離れたところを燃え立たせて、両方から火を近づけるのもおもしろい。風向きによって、急に燃え上がって収拾がつかない程になって、あわてることもある。どこそこの家は、畦焼きで積んであった藁も燃やしたんやと、とひそひそ声で話されたりしたものだ。我が家の持ち山も、地元の人の畦焼きが延焼して、禿げ山になった。
畦焼きの終わりは、くすぶっているところを、靴で踏んだり蹴飛ばしたりする。焦げる臭いが鼻に付く。
青菜採りは、かごが一杯になるまで続く。家に持って帰ると、水洗いもせず、使い古しのまな板に載せて、錆びた菜切り包丁で切り刻む。シジミやアサリの砕いた貝殻や米糠をまぶして、これまた古びたアルミ皿に入れてにわとりに差し出す。
けたたましい鳴き声を上げて、跳びついて来て、大騒ぎ。
ミミズを与えると騒ぎは最高潮になる。ミミズを嘴にくわえたにわとりを追いかけて、争奪戦が始まる。その騒ぎの興奮で、にわとりは元気になる。
|
|
|
|
縁側の日差しが暖かさを増し、ガラスの引き戸を開けていても、暖かい日が続くと、おぶったんと呼んでいる仏壇の手入れが始まる。浄土真宗の仏壇は、あの世の華麗さを現世に再現したと言われるだけあって、たいそう豪華なものだ。子供の頃は、そんな光り物が、とてつもなく価値のある物に思えた。
お雛さまの雛壇以上に作りが複雑で、重厚な作りをひとつひとつ外して、並べていく。敷き詰めた新聞紙の上に置くが、無数の部品がきっちり元に戻るのか心配になってくる。
白い金属チューブのふたを外すと、研磨剤の刺激臭が鼻につく。少し押し出して、液をい草につける。真鍮か、金箔か知らないが、磨くと手が黒くなる。しかし、滑らかな凹凸のある金属の上を擦る時の、い草の感触は嫌いではなかった。
おばあさんに、「大きくなったら、これみんなお前のもんや」とか言われると、すっかり大金持ちになった気分だ。「だから、しっかり磨けよ」という意味とは知らずに。
その仏壇を相続した時には、魂抜きの儀式をして、処分するようになるとは思いもかけなかった。
|
|
|
|
つくし採りに行けるようになると、春も本番。
畦道を歩きながら、日溜りの中でつくしを捜す。
汗ばむほど暖かい時もあるが、まだ、寒い風の吹き抜ける時もある。
雲が流れて来ると、日陰が広がって寒く、手も凍えそうになる。
枯草の間に緑が増えて、そこに顔を覗かせたのを、なるべく長くと枯草をかき分ける。
何で春を感じるか。
新芽の動き、虫の飛ぶ様。
もんしろちょう。
なんで春を感じたか。
小川の水のはねる音。
日陰の冷たさ。
枯葉のかげの緑。
そっと吹く風のあたたかさ。
あふれる春の日差し。
子供達の笑い声。
|
|
|
|