昔、昔、その昔、、、
昔、昔、その昔、、、
by Ken1

2007年11月11日(日)
 021  もずと一番星
 まえね(前の家)にひときわ高い一本の樫の木が立っていた。
 そこに、もずがやってきては、かん高い声で鳴いている。
 青い空、黒々した樫の木。
 そのてっぺん(頂上)で、ただ一羽、鳴いている。
 秋。
 夕焼けが赤い色に染まる頃、一番星が見え始める。
 やがて、満天の星。

2007年11月11日(日)
 022  強運のおじいさん
 母方のおじいさんは、飲兵衛だったそうである。
 ある時、酔って列車のデッキで寝込んでいて、列車から落ちてしまった。
 昔の列車はデッキに覆いがなく、連結器の上に頼りなげな渡り板が置いてあるだけで、線路が見えた。
 正体をなくすほど酔っていたものだから、ちょうどレールの間にすっぽりと落ち込んだ形になった。
 列車が通り過ぎた後に、起きあがって、歩いて家まで帰ったとか。
 怪我ひとつしていなかったという。
 この武勇伝が、母が生まれる前のことだったか、生まれてからのことだったかは、聞き漏らした。
 ひょっとしたら、我が家の家系も変わっていたかも知れない出来事である。

2007年11月19日(月)
 023  おばあさんと三人の娘
 母方のおばあさんは、いつもにこにこして、孫達が遊びに行くと迎えてくれた。それが、ある時から、周りに関心を示さず、縁側の日溜まりに座っているだけになった。
 「プイと、横向いたら、もう何も聞こえてないようや。」と。
 娘が三人と、息子が二人いた。昔は、子だくさんだったのだ。娘の3番目が、母で、娘の中では一番早く亡くなったことになる。
 母は、娘時代に電話交換手をやっていたそうだから、農村にあっては、ハイカラな職業婦人だった。声が良く人気があったそうで、知らない人から求婚されたとか何とか。それが、農家に嫁いだのだから、大変だったことだろう。
 すぐ上の姉は、サラリーマンに嫁いで、戦後すぐに出来たと思われる、平屋戸建ての市営住宅に住んでいた。おばあさんと良く似て、いつもにこにこした笑顔を絶やさない人だった。自分の住んでいるのが、大きな二階建ての農家なので、そのこじんまりした家が物珍しかった。
 一番上の姉は、書写山の近くに嫁いでいた。夫に先立たれ、長男も若くして亡くしたが、一番長生きした。小学校に上がって、最初の一年は、何を聞かれても、一言も口をきかなかったそうだ。それが、二年生になって、突然話し始めて、級長にまでなったそうだ。我々、甥や姪にも、しゃきしゃきした口を利いた。
 法事の時に撮った母達三人の老婦人の写真がある。一枚目のは、三人並んで、微笑んでいる。次のは、何かおかしなことを言ったのか、三人とも吹き出している。箸が転がっても笑うという、若い娘達。しあわせの記憶。

2007年11月19日(月)
 024  火事
 昔は、火事が多かった。家事に薪などの火を使っていたのと、わら屋根が多く残っていたのと、何より村が急速に発展している最中だったことによる。
 村には、物見櫓があった。それは、鋼鉄製の立派なタワーで、猿梯子が三段に分かれて、上に続いていた。子供は登るなというのが、大人の口癖だった。一番上には半鐘があって、火事の時には打ち鳴らされた。
 隣村の遠くの火事だと間隔が長く、カーン、カーンと聞こえるが、近くは連続して激しく鳴らされる。
 すると、村中の男達が、消防団の法被を身に纏い、長靴に履き替えて、馳せ参じるのだ。
 もちろん、子供達も、こんな機会をみすみす見逃すわけはない。
 手押しの消防車が引き出されて、牛が結びつけられる。消防車が走り出すと、手回しのサイレンが鳴らされるのだ。それを取り巻くように、男達が走り、子供もついて走る。
 燃えている家の近くまで来ると、子供は脇にのいて見物に回り、消防団の活躍が始まる。
 水源は、近くを流れている用水路をせき止めるか、運が良ければ、井戸が使える。
 ホースをつないで延ばし、放水が始まる。手押しポンプを、向かい合った、二人とか四人で交互に押し下げる。
 わら屋根が近くにあったりすると、延焼をさけるため、まだ燃えていない家の屋根に向けても放水する。水の奪い合いだ。
 「もう、ここは燃やしてしまわなあかん。」
 「風向きが変わったで。あっちから水や。」
 やがて、火が収まってくると、煙と焼けこげた臭いに気付く。
 帰りは、行きほどは殺気だっていない。ゆっくり駆けていく。
 戻った頃には、村の婦人会が炊き出しをして、おいしそうな鳥飯の匂いが漂っている。

2007年12月02日(日)
 025  まつたけ
 我が家では、3つの村を越えて行く、遠く離れたところに、まつたけ山を持っていた。
 まつたけ狩りには、朝早く出かける。すぐ目に付くのは、茶色でねばねばした傘のはったけだ。ほんたけと呼んでいるものは、もう少ししっかりしていた。
 松の木の近くにあるという、まつたけを探すが、子供の目には、まるで見あたらない。
 「ここにあったぞ。」と言われて、見に行くと、落ち葉の陰から半分頭をのぞかせている。
 その周りの落ち葉をかき分けると、松葉の湿った、すがすがしい匂いがする。
 小さな頭を見つけて、がっかりしていると、「見事なまったけや。よう見つけたな。」と誉められたりする。広がっているのより、傘の開いていないものが上物とされた。
 気がつくと、結構斜面を上がってきていて、このあたりが隣との境界と言う。ざわざわと風が吹き抜ける音が、不気味に聞こえる。
 山からの帰り道は、大きなまつたけを下に隠して、一二本だけ、小さいのを上に載せておく。
 「取れましたか?」と声をかけられても、「今年はあきまへん。」と答える。そう言わないと、他人の山に勝手に入って取っていくのだと教えられた。
 傘の開ききっていないのは、新聞紙の上に並べて、開くのを待つ。落ちた胞子を、再び山に戻すのだ。開いた傘は20cmぐらいのもあっただろうか。大人は、それを裂いて七輪で焼いてから、しょうゆを付けて食べていた。
 当時、どれほど貴重な物かと聞かされても、あまりピンとこなかった。噛んだ感触は好きだったが、とびきりおいしいとは思わず、香りもそれほど高尚とは思わなかった。それよりは、雑多のきのこや里芋を入れた、ぬめりの多いみそ汁が好きだった。
 まつたけの生える山は、毎年落ち葉をかき出すなど手入れをしないといけないそうだ。
 ある時、地元の野焼きの火が延焼して、山が丸焼けになった。今は、ただの雑木林になって、隣からの竹が侵入してタケノコ山だとか。

2007年12月02日(日)
 026  子供の時間
 昔は、時間は自然に過ぎた。
 速いとも思わなかったし、遅いとも思わなかった。
 空の雲の動きを眺めている内に過ぎて行く。
 日が登り、日が沈むと、一日が過ぎた。
 暑い夏も、汗だくにはなるが、我慢していると秋になった。
 それに、子供には、何かしら面白いことや楽しいことがあった。

 秋の夜長はやはり、お勤めかもしれない。
 浄土真宗の儀式。
 それは、仏壇にろうそくの明かりを灯して始まる。
 鉦の音を鳴らして、導師役が節をつけて、お経を唱え始める。
 皆の唱和が延々続く時には、時間が長いと感じた。
 終わると、終わったことに、ほっとした。
 大人は、満足したのだろうか。

2007年12月23日(日)
 027  かやんぼ
 小川のそばの田んぼに出かけたのは、冬のことだった。
 畦道のかやんぼは、枯れ葉色になっていたが、まだ、立ち姿をとどめていた。
 昔は屋根を葺くのに使ったというが、使われなくなって久しい。葉にはギザギザの鋭い刃が付いている。下手に手でつかもうもののなら、ノコギリのように切りきずが出来て、ひどく痛むのだ。
 「川に落ちたらあかんで」と言われて、かやんぼの枯れ葉の間を押し拡げて、身体を入れていく。
 要領が分かってくると、今度は、身体を丸めて、背中で押しつけて、空間を広げる。
 すると、根曲がり竹のように、かやんぼがたわんで、自由に動き回れる空間が出来上がる。
 かやんぼの中までは風も吹き込んでこない。
 入り口の隙間から、田んぼで大人達が働いているのが見える。
 むしろを引きずってきて、横になると、冬の太陽が、暖かく包んでくれる。
 目を閉じると、世界が明るく燃え上がった。

2007年12月23日(日)
 028  山行き
 山の下草刈りは冬の仕事だった。
 斜面には、実にいろいろな下草が生えている。その名前を知らなかったのは、今思っても残念だ。
 大人に聞くと、それなりに答えてくれる。
 「それは、ネズミ刺しや。ネズミの穴に置いとくと、ネズミが出て来んようになる。」
 「がんびや。紙を作るんやで。」
 一センチにも満たない細い普通の木の枝がどうして、白い紙になるのか理解できなかった。
 大人達の教えてくれるのは、本当の名前か、思いつきの名前か分からない。
 大人達は、下枝を打ち、くま手で落ち葉を掻き出していく。
 枯れ木を切り倒すのは、おもしろい。
 ノコギリを入れて、いよいよ倒れそうだとなると、「そっちに倒れるぞ、のいときなよ」と命じられる。
 メリメリと音を立てて、勢いを増しながら倒れて、近くの小枝をなぎ倒して地面にぶつかって、跳ね上がる。
 大きな音が収まると、風が吹き抜け、根に近づくと、おがくずの香りがこぼれる。
 集められた下草は、木の枝を外側にして、縄で縛る。木の葉がこぼれ落ちないのが不思議だった。
 夕方になり、牛をつけた車力に山のように荷が積み上げられると、帰り道に着く。
 荷物の一番上には、正月の飾り物に使う、青々した松の枝やシダが載せられていた。 

2007年12月31日(月)
 029  もちつき
 餅をつくのは、決って、冬の夜の明けないうち。
 「明けの烏の鳴かぬ間に」とか言っていた。
 せいろに二・三段重ねにした餅米を、かまどで蒸しあげる。
 薪をくべて、勢い良く湯気が上がると、餅米の蒸し上がり。
 あの、窓ガラスにびっしりついた露が雨のように流れる。
 もちつきの始まりだ。

2007年12月31日(月)
 030  大晦日
 いつも、三十日までに掃除は終わっているので、この日は、料理の日だ。
 「正月三が日は包丁を使ったら、あかんのや。」とか言って、全部まとめて作ってしまう。
 黒豆の煮物などがまず始まる。
 それから、里芋を煮たり、さつま芋を煮たり。
 羊羹を作ったりしたときもあった。
 おもちは、とっくについてある。
 夜、子供達が寝る頃には、まだ、ほとんどが途中である。
 そして、出来たものも、まだ並べてなく、木の箱に詰めて行くので、よく見えない。
 何が出てくるか、楽しみは、正月にという訳である。
 田舎にもテレビが入ってきて、公共放送の紅白歌合戦が始まった。
 そして、この風景はなくなった。

ホーム その昔、、、