昔、昔、その昔、、、
昔、昔、その昔、、、
by Ken1

2007年08月14日(火)
 011  ホタル
 暗くなった庭に、すうーっと黄緑の光が流れる。また、葉っぱの上に、点滅する小さな光も楽しい。
 夜になると、少しずつ昼間の熱気がさめてくる。ホタルを捕まえるには、懐中電灯と、虫かごがあればいい。ガラス瓶のふたの部分にガーゼを輪ゴムで止めるだけでもいい。
 懐中電灯は必需品だ。草むらで光るのを見つけたらいいが、目指すのは用水路の岸で、水際が一番だ。ところが、ここには蛇やカエルがいて、眼を光らせている。その光が、ホタルのように見えるのだ。ホタルと間違えて手を出すと、死にそうになるほど、気持ち悪く、びっくりする。
 そこで、まず電灯で照らして確かめて、消して暗闇に目が慣れるまで待って、手で捕まえるのだ。
 厄介者は、他にもいて、それは蚊だ。暗闇でじっとしていると、いつの間にか刺されている。
 家に帰って、電気を消してホタルを見ると、尻尾のあたりが明るく輝くのが見える。
 「離してやりなよ。どうせ死んでしまうから。」と言われて、外に出て、庭に放すと、すーっと光りながら、飛んでいく。  

2007年08月14日(火)
 012  おばけと幽霊
 夏は、おばけのシーズンだ。いろんなおばけがいた。
 いったい、誰が子供に教えたんだろうか。
 のっぺらぼうとか、ひとつめ、みつめこぞうに、ろくろくび。
 むじななどの妖怪。河童、赤鬼、青鬼。
 おばけはまだ、どちらかといえば、無邪気で、かわいげがある。
 大人は、夏になると、幽霊の話をよくしていた。
 すぐそばに、いてもおかしくないという感じだった。
 たいていが、女の幽霊で、髪を振り乱して、白い着物の前に手を揃えて、だらりと下げて、迫って来る。
 どこかでだれかが、見たとか、見てないとか、にぎやかだったが、幽霊となると、怖いだけの存在のように思う。
 だいたい、死んでもまだ、恨むなんてのは、趣味に合わない。

2007年08月26日(日)
 013  井戸水
 庭の井戸は、金気、つまり鉄分が多くなって、水の出も悪い。それに、外にあるので、雨の日など大変ということで、だいぶ考えた末、家の中に掘ることに決めたようだ。場所は、台所の土間の片隅で、倉の前だ。
 長い木の柄のついた鉄のハンマーで、鉄のパイプを打ち込んでいく。これは、いかにも力が要る仕事だ。
 鉄のパイプの先端には、穴の開いた杭状になった先導パイプがつながっている。水脈に当たれば、この穴から水が流れ込むのだ。それまでは、中空の部分から水を注いで、パイプが進みやすい様にする。ある程度打ち込むと、パイプの上の方は、ハンマーでつぶれている。いったん、金ノコで端を切り落として、ねじをたてて、次のパイプにつなぐ。で、また打ち込むのだ。
 ある程度入っていくと、今度は、上に手押し式のポンプを接続して、呼び水をしながら、汲み出す。
 呼び水は、以前の井戸の水を使う。ところが、最初の内は、バケツでいくら呼び水を入れても、出てこない。その時は、もう一度パイプをつないでハンマーで殴りつける。だんだん、ムキになってくる。
 最初の位置では、青い粘土の水が出て、結局は、使えなかった。
 次の場所では、水は出たが、庭のより金気が多くて、飲み水には使えなかった。こうして、何日かに渡る井戸掘りは挫折した。
 掘る位置を決めるのに、二股の木を持って捜したかどうかは知らない。  

2007年08月26日(日)
 014  地蔵盆
 それは、夏も終わりに近づき、日の落ちた頃に始まる。
 普段は、殆ど人の通らない、村はずれの畦道に、人が集まる。
 ローソクが、何本も立てられて、明りが、そこだけ、別世界の様に、輝く。
 やがて、導士のもとで、唱和が起こる。
 のぼりが、風にはためく。
 唱和の声が、灯明の炎と共に、細く長く、夜空に立ち昇っていく。  

2007年09月04日(火)
 015  花火
 村には、雑貨屋が二軒あった。一軒は、西所(にっしょ)といって、わが家の西どなりにあった。もう一つは東所(ひがっしょ)。実は、短い期間だけ、ひがっしょから、さらに北の方へだいぶ行ったところに、もう一軒あった。ここは、買いに来て欲しくないかのように、いつも閉まっている木戸があり、開けると、狭いところに駄菓子が並べてあるのだった。売っている商品など、少し胡散臭さのある店だった。
 ある時、当てくじで、いろんな花火を売っていた。結構売れていて、残り2、3枚になっていた。1等の打ち上げ花火が一つと、線香花火にねずみ花火だった。
 一緒に買いに行った子供で、二回、くじを引くことにした。予想通りというか、心配していた通りというか、二つとも一等ではなかった。残りは一つ。もう一回、くじをひく小銭の持ち合わせはなかった。子供心に、あせった。二人で相談して、家にとって返すことにした。
 思い切って、貯金箱から、なけなしの小遣いを取り出すやいなや、走りに走って、店に急いだ。
「おばちゃん、当てくじ。」
 敵もさるもの。そんな、当たるのが分かっているのはやらせられんと言って、くじではなく、100円も取られた。当時5円で棒付のアイスキャンデーが、10円出せば丸い箱に入ったアイスクリームが買えた。
「がめついおばはんやで。」
 夜になるのを待ちかねて、南の田んぼの中で、花火をやった。ねずみとか、線香花火をやって、いよいよ十連発打ち上げ花火の番になった。導火線に火を点けて、少し遠巻きに見守る。しゅるしゅると勢い良く筒の中に火が伸びていった。
 それでお仕舞い。うんともすんとも言わずに終わってしまった。
 後で分かったのは、もともと一等の当たりは、くじの中に入っていないということだ。単に客引きの花火。季節の初めから出してあって、しけっていたのか、導火線が外れていたかしたのだった。  

2007年09月04日(火)
 016  夏の終わり
 「おだいっさんに行こか。」それは、夏の終わりのお祭りだった。聖徳太子をさす言葉と知ったのは、ずっと後のことだ。
 夕方、日が落ちてから、歩いて出かける。
 国分寺が近づくと、人が多くなって、にぎやかな声も聞こえてくる。
 夜店の明かりは強烈だ。今思うと、アセチレンの青白いガスで照らされていただけだと思うが、裸電球のまぶしさだったのだろうか。カーバイドの刺激臭が鼻をつく。
 中央の道は人であふれていて、歩けない程だが、脇にいくつか細い道があって、あちこちに小さなほこらがあって、そこにも、参拝者がいて、お賽銭がところかまわず、積み上げられている。
 小さな池が配置されていて、あちこちの灯明の影をゆらゆらと映している。
 にぎやかな通りに戻って、人混みに流されていると、一回りしてしまう。
 さあ、帰ろうかと、提灯を取り出して、ローソクに火を灯す。ぼんやりとした、あたたかい光の輪の中に、道が見えている。遠くには同じように提灯を掲げて帰る人の群れの、楽しそうな笑い声が聞こえる。
 「早よ家にいんで(帰って)、井戸のスイカ食べよ。」子供達は、わーぃと声を上げて駆け出すのだった。  

2007年09月23日(日)
 017  台風が来る
 関西で過ごした人なら、あるいは思い当たるふしがあるかも知れない。
 台風が来るかも知れないと分かった時に見る、奇妙な熱中ぶり。もちろん、台風の被害は農作物に大変な被害をもたらしはするが、全く、それを思い計ったり心配してというのではない気がする。お祭りの前の、わくわくした期待感が最も近いかも知れない。事件の起きようもない毎日の単調な生活を忘れさせる、非日常への期待だ。
 新聞の天気図は、詳細に吟味され、いよいよ台風が近づいて来たとなると、テレビのない時代の人々はラジオにかじりつくのだ。雑音だらけのラジオから、アナウンサーが興奮を押さえた声で、各地の風力や風向きを知らせる。
 「これは、絶対やってくる。」
 「去年よりは北向きのコースで、直撃や。」
 「雨だけならええけど、風が問題やで。」
 「そやそや、ちょうど稲に実が入りようのに、倒れてまうで。」
 やがて、厳重に締め切って、おまけに釘を打ち付けられた雨戸に横殴りの雨が吹き付けるようになると、男達は合羽を着て、田んぼの見回りに出かけるのだった。  

2007年09月23日(日)
 018  怪力おばあさん
 村一番の力持ちと言えば、わが家のおばあさんだ。残念ながら、子孫に遺伝はしていないようだが、まだ発現していないだけかも知れない。明治の人なので背は高くないが、体格はがっしりしていて、横幅はおじいさんの倍はあった。
 怪力ぶりを伝える話では、稲刈りの後、脱穀した稲を詰め込んだ俵を二つ小脇に抱えて、田んぼの畦を登っていくことが出来たそうである。話半分としても、一俵である。
 精米してある米なら一俵が六十キロだが、それよりは多少軽いとしても、大変な重さだ。電気屋の配送アルバイトのお兄さんに米を一俵あげると言ったら、自分では持ち上げられなかった。それではと、ひょいと肩に載せてやったら、腰が据わらず真っ直ぐに歩けなかった程だ。
 おばあさんが俵を持って畦を登っていくのを見ていた人が、畦に渡してある木の板がたわんで折れるんじゃないかと、ハラハラしたという。
 「もし村に女相撲でもあったら、間違いなく横綱やで。」
 「あれは、男二人でも勝てんかったかも知れへんで。」
 「エラかったもんな。」エラかったというのには、偉いという意味の他に、強いというか、畏れ多いという意味もある。
 「次女やのに、惣領娘を追い出して、家を継いだんやもんな。」
 「婿はんは養子やし、怖いもんなしや。」と、実の娘たちが楽しそうに昔話をしていた。  

2007年10月17日(水)
 019  結婚式
 村の結婚式は、盛大だ。
 まず、花嫁の荷が着く。
 牛に引かれて、車力が連なる。
 縁起を担いで、後戻りしたらあかんとかやるもんだから、大変。
 そのうえ、酒が入って、足はもつれている。
 ようやっとのことで、荷が着く。
 それを披露するだけで、一日が経ってしまいそう。
 それから、結婚式。仏前結婚か、神前結婚か。
 席が設けられて、披露宴。
 村中の女の人が、白いエプロンで、前の日から準備。
 男たちの宴たけなわ。赤い顔、蒼い顔。
 夜を徹して行われる。  

2007年10月17日(水)
 020  奇人変人おじいさん
 特技は、謡だったそうだ。
 「何せ、大したもんやったで。」
 「結婚式で謡とっての時、わしゃ、見たら、障子の桟あるやろ。あれがな、こう、細まこうふるえとんや。」
 「ええ喉しとったったわ。」
 「わしゃ、ほんまに、あんなん、見たことないで。」

 空の雲の様子を見るだけで、明日の天気を予報できた。
 「雲が入れよるから、大雨だ」とか、「もう晴れてくる」とか言うふうに。
 なぜ、天気予報が出来たかというのは、興味がある。
 まず、ラジオのは、それほど正確にローカルな予報でなかったこと、よく空を観察できたこと、それと、いわゆる予言者と同じように、それほど重きをおかれてなかったこと、あるいは、一度よく当たったために、それに精通するよう普段の努力があったため、など。本当のところは、よく分からない。

 藁を打つ石を見て、「これぐらいの大きさだったら、割れる。」ということだった。
 それは、とても信じられない大きさだった。こぶしよりはるかに大きく、ほとんど、人の頭ぐらいの大きさだった。
 最初見つけてきたものは、ちょっと種類が違う、ということで、別のに取り替えた。
 何人かの子供の見てる前で、「えい。」というかけ声と共に、げんこつが振り下ろされた。

 石は、見事に二つに割れていた。
 その石はしばらく大事にとってあったが、捨てられてしまった。

 素手でねずみを捕まえることが出来た。
 二十日ねずみが、壁ぎわをちょろちょろと、駆けて行く。
 はっと思ったときには、捕まえられたねずみは、地面にたたきつけられて、死んでいた。
 ちゅうと鳴く暇もなかった。

 これは、直接きいた話と、又聞きとの組合せである。
 小学校で、ブランコの台に縄を掛け、首を入れてぶら下がって見せるとかけをしたそうだ。
 「やめろ、死んでまう。」といろいろ騒がしかったが、ついにやることになった。
 「こないして、掛けたんや。」
 そこで、みんなが見る前で、首を掛けた。
 呆れたことに、死んでぐったりぶら下がる代わりに、ゆっくりと縄を揺すっていたとのことだ。

 駅のことをステンショと呼んでいた。
 英語のステーションが、なまったものかも知れない。
 ずっと前には、とてもモダンな表現だったのかも知れない。
 ステンショから汽車に乗るというのは、とても素敵な事だったに違いない。
 親父は、祖父の口から、ステンショと発音されると、そんな言葉はないと怒ったように言った。

 「長い話して。」
 「よっしゃ。天から長ーいふんどしが落ちてきたんやと。」
 「そんなん違う、もっと長いやつや。」
 「そんなら、これはどうや。川で洗濯しとったらな、長い長いそーめんが流れてきたんやと。」  

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