定時通報

第121報 2006年09月08日(金)
 ウプサラ生活がスタート > 写真
 韓国ソウルから一路ドイツへ。ミュンヘンでは東大の同級生と一日街を歩いて回り、翌日にはサイクリングをしました。小雨が降ったり止んだりの天気でしたが、歴史ある町並みと 緑の多い公園を散策して、とてもリラックスしたバカンスになりました。しかし、ドイツは寒かった。
 30日にはスウェーデンのウプサラに到着し、2度目の留学生活が始まりました。ドイツより北にあるのに、こちらの方がよっぽど暖かく感じます。 ウプサラは大学の街なので、とにかく若い学生を多く見かけます。ウプサラ大聖堂をはじめ、大学関係の施設も歴史があって、とても綺麗です。街の真ん中には川が流れていて、川辺には緑が、橋には鉢植えが据えられていて、色鮮やかです。 人々は驚くほどきちんとしていて、僕の中のスウェーデン人像と食い違うことがたくさんあります。名刺をお願いしたら翌日にはできているとか、寮の宿舎に問題があるとその日のうちに直しに来たり。 銀行のATMの前で長蛇の列を作り、窓口業務のおばさんが無駄に仕事ができないとかいうのはヨテボリと同程度ですが。
 大学では研究室とパソコン、それに指導教官をつけていただきました。パソコンはWindows2000搭載で、日本語表示ができないという代物ですが、インターネットは寮でできるようになったので勘弁しておきます。 これからフィールドの小学校探しを始めなければ、と思っているところです。
 そんなわけで、留学生活の滑り出しはかなり順調です。先週の木曜日はストックホルムのスカンセンへ行きました。そして土曜日はストックホルムの補習校を見学させてもらいました。 今日はこれからヨテボリへ向かいます。行ったり来たりになりますが、佐藤先生が訪瑞されるので、学校をご案内することになっています。
 スウェーデンでは9月17日に国政選挙があるのですが、国民党の党員が社会民主党(与党)のイントラネットに不正アクセスをして捕まったということで大きなニュースになっています。 国政選挙の時期にスウェーデンにいるのは今回が初めてですが、テレビでは英語で政策討論をする番組や手話で論点を伝える番組など、さまざまなマイノリティに配慮した報道がなされているのに気がつきます。 街の中心にはそれぞれ政党が小さな小屋を建てて、道行く人に政権公約を説明しています。どこかの国の街宣カーでの選挙活動より好感が持てます。90年代以降の新自由主義との微妙な融合路線を築いてきた社会民主党が、今回の選挙で勝てるのかが見ものです。 教育も大きな争点になっています。あるテレビ番組では教育問題に焦点を絞った討論を放送していて、「どの政党も教育の重要性を認めているわけですよね。では、どうして協働して問題を解決しようとしないのですか?」という問いに、各政党の代表者が「いやぁ、あっちの党がこっちのことを聞いてくれないからだよ」と言い合っている場面がありました。 幼稚園生並みの反応だなぁ、と思ってしまいました。「よい子は真似しないでね」  
同級生とミュンヘン観光
魚に噛み付かせました
聞いてないよ〜
スカンセンがこんなにきれいだなんて
第122報 2006年09月18日(月)
 激動のスウェーデン > 写真
 先週末はヨテボリに行き、金曜日は補習校、土曜日はアレクサンダーの誕生日会へ、日曜日は佐藤先生と市内観光、月曜日は佐藤先生を小学校へご案内しました。 ヨテボリでもこの時期には珍しいほどの快晴続きで、とても楽しい旅行になりました。補習校では非常事態が重なって、臨時で授業をすることになり、思いがけず先生になってみたりもしました。
 ウプサラに帰って、週の前半は引き受けた翻訳の仕事に噛り付き、後半は分担執筆のための資料集めを始めました。生活環境も整ってきて、ようやく研究にも手をつけられるようになりました。 せっかく1年間の暇に恵まれたので、勉学に没頭できればいいなと思っています。目下の課題はスウェーデンのコンピテンシー概念についてと関係論的学校開発理論へのアプローチです。何かいいアイデアがある方はメールください。
 さて、選挙戦は昨日で終わりを迎え、大接戦の末に保守勢力が社民勢力を抑えて政権をとりました。スウェーデンは70年代ころから重福祉政策を維持してきましたが、90年代前半の不況期にEU加盟の課題と重なって一度保守勢力が政権をとりました。94年の総選挙では社民勢力が返り咲き、現在に至っていましたが、今回の選挙で再びひっくり返ったという状況です。 最近は景気も回復してきて、失業率も満足できる域にある(と、少なくとも社民勢力は主張している)のですが、病院や公共機関のサービスの質が低下していて、福祉政策の影の面も無視できない状況にあります。 教育に関しては、90年代前半に保守勢力が教育費のバウチャー制と学校選択制を導入しましたが、その後の社民政権で学校開発庁を設置するなどの反省的政策が目立っていました。 このように価値観が拮抗する中での総選挙でもあり、スウェーデン国民が更なる改革開放を求めるのか、それとも社会的連帯を求めるのかの方向を占う選挙であったと思います。 結局保守勢力が勝ったので、今後は新しい成績評価制度の導入や学校開発庁の廃止などの改革が行われることになるでしょう。う〜ん、フクザツ。
 面白いのは、選挙権のない学童が擬似投票を行う「学校選挙(skolval)」という取り組みがあることです。本当の選挙さながらに、子どもたちは選挙事務所を訪ね、各政党の政策を吟味し、一票を投じます。 今年の選挙では、一昨日までの時点で1286校から381896票が投じられています。それぞれの学校では、ここでの結果と本物の選挙の結果を比べて後の授業の教材として生かします。 この取り組みには学校開発庁や教育テレビなどが後援しています。学校開発庁は民主主義教育推進の"Politik i skolan"というプロジェクトの一環として扱っていて、 去年の10月に修士論文のための調査の時にも、学校で政治について話し合うことの重要性についてのシンポジウムを開いていました。

学校選挙総選挙
 左党10.34%5.8%社民勢力
46.2%
 社会民主党22.53%35.2%
 環境党10.82%5.2%
 中央党6.96%7.9%保守勢力
48.1%
 国民党7.67%7.5%
 キリスト民主党4.28%6.6%
 穏健党26.31%26.1%
 その他11.09%5.7%

 さて、この結果をどう見るか。大勢としては、穏健党の躍進を見事に予想しています。しかし、それぞれにはかなりの誤差があるようです。この大きな開きから、子どもたちは何を学ぶのでしょうか。  
政治・政策について、教育・研究について、日本の将来について、とにかく喋りまくりました。
佐藤先生と学校訪問
ちょっとだけよ〜♪
ウプサラの住処を公開します
第123報 2006年10月04日(水)
 リサーチ・アクティビティ始動 > 写真
 ウプサラ生活が始まって、あっという間に一月が経ちました。住環境のインストールはひと段落し、ようやく研究活動も動き出しました。
 9月下旬にはストックホルム郊外のコミューンが主催した公立幼稚園の活動展示会へ行ってきました。明石書店から出版される本の分担部分でスウェーデンの学力について書くことになっているのですが、 その特徴として生涯学習の視点からみた学力問題を扱おうと思っています。その際、成人教育や幼児教育の学校制度化は、量的拡大の文脈で切り取ることができるかと考えていて、幼稚園の現状には興味があります。 スウェーデンに関する諸々の文献で共通するように、幼小連携に関する取り組みも日本ではバラ色に染められています。しかし、その裏には数々の問題点が横たわっていて、幼稚園の現場は日々格闘しているわけです。 この日の展示会では、多くの幼稚園が活動に算数と言語的要素を取り入れて教育を行っていることをまとめていました。 残念なことに、幼稚園がこれまで子どもに寄り添いながら育んできた様々な教育方法は省みられていませんでした。幼稚園の先生たちは、どうやら「先生」になるべくがんばっているようです。 うちの園に来れば小学校に上がる準備も万全ですよ、と。この問題の背景には大きく3つの要素が指摘できるでしょう。学校選択の問題と就学前教育の制度設計の問題、そして教員組合と幼稚園教諭のステータス願望です。 どうやら、またもや「大人の都合」に子どもが犠牲にされている構図のようです。
 また、ウプサラ市の公立基礎学校(幼小中養統合)での授業観察も始めました。校長先生にお願いしたところ、ありがたいことに今後一年間自由に出入りしてよいとの許可をいただきました。 最近は学習理論や活動理論の文献を読んでいるので、子どもたちや先生たちの関係を観察する中で学校開発の新しい知見を試してみたいと思っています。
 そして、大学でのゼミも始まりました。初っ端の検討文献が「文字と絵画」というテーマで、バフチンやらポランニーやら、日本語でも理解していない彼らがご登場なさいました。 問題はゼミがスウェーデン語なので、哲学的な考察とか枠組みに疑問があっても突っ込めないというところです。フラストレーション!!
 と、その問題を解決すべく、明日からは「移民のためのスウェーデン語」に通います。ありがたや、福祉国家。かたじけない、納税者。
 最近は暇があったので本をたくさん読むことができたのですが、刺激も多くて脳みそが活性化されています。残念なのは、それを議論する相手が身近にいないこと。 東大では読書会や勉強会が毎週あったし、周りには「打てば響く」人たちが大勢いたのですが、こちらは超個人主義の国、基本的に 研究者同士の越境したコラボレーションとかが少ないと感じます。 環境は自ら変えていかないと始まらないようです。
 そして、スウェーデンが世界に存在感をアピールする数少ない機会である、ノーベル賞受賞者の発表が始まっています。ウプサラ大学では受賞者が記念講演をする慣わしになっているので、ちょっと楽しみにしています。  
裏の裏まで知りたくなります
幼稚園の活動展示会
この日はリネア18歳の誕生日会
9月は誕生日が多いんだ
第124報 2006年10月15日(日)
 たのしい学び方 > 写真
 10月の第一週は僕にとって「大学週間」でした。水曜日はゲスト・リサーチャーのためのウェルカム・レセプションに招待され、 普段は公開されていない大学の奥間などを見せていただきました。ウプサラ大学に関係の深い研究者たちの歴々の肖像画を前に、 当時の状況などを冗談を交えながら説明してくれて、とても面白いツアーでした。そして、金曜日は東大から奨学金調査のご一行様がウプサラ大学にいらっしゃるというのでご一緒させていただきました。 この時は直前に教わった歴史を口移しでご紹介しました。なんともすばらしいタイミングです。ご一行様は公式のご訪問という扱いでしたので、事務長さんが昼食会を設定してくださり、 僕もおこぼれに預かりました。というわけで、この週は大学から2回も接待を受けてしまいました。
 9日と10日はスウェーデン中部の町、オーレというところへ行ってきました。カールスタッド大学の研究者を中心とする「問題解決型学校開発(PBS)」という取り組みのネットワークミーティングに参加しました。 去年はオーレブローというところに400人ほどが集まったのですが、今年は人数が多すぎるということで2ヶ所に分けての開催となりました。それでも集まった先生方の数は600人。ものすごい人気です。 学校開発に関する理論は多くの教育学研究者がさまざまな角度から提示しています。PBSの特徴は、学校での日々の問題点から出発し、先生たちが主体となって学校を開発することを志向している点です。 価値観の押し付けではなく、自分たちの実践からモノが言えるという方略が先生たちにウケているのだと思います。ミーティングでは、政治家の影響力や介入が強くなってきているという不満をたくさん聞きました。 日本でも安部首相がバウチャー制導入を促進していますが、スウェーデンでの実態からは学校教育の政治化をもたらしているという結果をみることができます。先生方が子どもの教育に注力できる環境を整備するのは政治家の役割だと思うのですが。
 もうひとつ、学校開発理論の規範的(ノーマティブ)な側面がとても鼻につきました。胡散臭いというか。これは僕の研究上の課題になるわけですが、 教育学研究者が運動家みたいな活動をしていていいのかと疑問に思います。PBSの場合は、先生方の日々の実践から出発するという点は理想的ではありますが、 教師同士で話し合うことによって、教師がどんどん教師化していくという側面と、自分たちの実践を無理に正当化しているという側面が生まれています。 教師が学校開発理論自体に働きかけて、そこから新たなものを生み出していく関係がないと、ただ都合のいいように消費するだけになっているのではないかと思うのです。 現実を変えたいと願う科学者はどのように行動すればよいのでしょうか。
 「移民のためのスウェーデン語」はとても楽しく通っています。クラスの雰囲気が互助的なのがとても良いです。考えてみたら、生徒として、観察者として、研究者として、院生として、外国人として、など本当にたくさんのアイデンティティを背負って 生きているんですね、僕。正統的周辺参加の議論によれば、それぞれのアイデンティティを中心へと深めることが学習になるわけですから、たくさんの学習の機会に恵まれているわけです。どうりで楽しいわけです。  
肌寒くなってきたけど、意識的に外遊びをしないとね
ブルーノとスケボーに挑戦
学校開発に意欲を燃やす先生方と会いました
スウェーデン中部の町オーレへ
第125報 2006年10月29日(日)
 夏時間の終わりとともに > 写真
 今日は25時間の日でした。大学の同僚はいつもより1時間長く眠っていられると喜んでいましたが、年に一度のおまけのような時間でした。 気がつけば、コンピューターの2000年問題で騒いでいたあの頃からもう6年が経ち、今や団塊世代が一斉に退職する2007年問題に対応する時代なんですね。 時代を1年間先送りにできる「夏年間」なんていうのがあったとしたら、どれ程の効果になるのでしょうか。
 先週は幼稚園と小学校との接続について研究されているご一行様がいらっしゃいました。就学前学級を二校と学校開発庁の幼小連携の責任者とのミーティングをご案内しました。 幼小連携については、生涯学習の理想と現実が渦巻く場という意味で最近とても興味を持っていたので、授業見学もミーティングもとても面白かったです。
 就学前学級の授業観察からは思わぬ収穫を得ました。簡潔に言うと、学校文化はそのイニシエーションとして子どもたちの個別化を行っている、ということです。 「抽象から具体への上向」とは言われますが、人間の歴史・文化的、そして社会・制度的発達は同様に「集合から個別への上向」なのではないか、と最近考えてきました。 就学前学級は0年生と呼ばれ、まさに学校への導入段階にあたり、「学校的」な環境への適応準備を行う場だといえます。そこで子どもたちは、自分の名前が書かれた席や外套かけ、文房具をあてがわれ、 共有から私有の世界へと誘われるのです。子どもたちは放っておけば集団に返ります。たとえば、隣の人とおしゃべりを始めたり、けんかしたり。これに対して教師は、自分の席で静かに学習をするように再三注意し、個への分割を図るのです。
 個への分割がひとりひとりの能力を高めるのに効率的な手段だと考えられてきたことは事実でしょう。しかし、僕が考えている組織としての機能を強化することを考えるとき、 個々の能力向上によって犠牲にされている集合の関係的力学が必要になると考えています。これを説明するのに、光学異性体モデルを提示しようと考えています。
 分子の光学異性体はルイ・パスツールによって発見されたものです。パスツールはワインに含まれる酒石酸の小さな結晶を調べていた折、結晶には非対称な2種類があり、それぞれが鏡像になっていることに気がつきました。 つまり、右手と左手のような関係です。この光学異性体はそれぞれの原子の構成要素はまったく同じですが、その構造が異なっている故に機能が異なっています。たとえば、学校の教室や職員室を考えたとき、 それぞれの生徒や教師はすべて一緒でも、あるきっかけを経て極めて生産的になったり、不祥事が次々と発生したりということが起きます。これらの「結果」をそれぞれの構成要素(すなわち、生徒や教師)に還元するだけでは解決しない問題が残されるのです。 その問題こそが、僕がスウェーデンでつかもうとしているものなのです。
 と、熱く語ったところで、夜も更けてきたので終わりにします。明日は朝早くからストックホルムで「学校フォーラム」に出かけてきます。またヒントが得られればいいな。  
霧も霞も風情を感じる季節です
天空に消え入るウプサラ大聖堂
幼小連携研究ご一行様が訪瑞
アップップの国へようこそ

ホーム 定時通報