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第116報 2006年05月08日(月)
 London Bridge is falling down... > 写真
 マザーグースの有名な歌「ロンドン橋」では、流出や焼失で架け替えられるという歌詞が歌われています。 インターネットでは「人柱伝説」なるものも紹介されていて、物騒なものです。橋と言えば「一休さん」かも知れませんが、 僕はむしろ三途の川を思い描いてしまいます。ロンドン橋を越え、テームズ川を渡ったら、黄色いチューリップが見事に咲いていて・・・。
 ロンドンでの一週間はとっても充実していました。学会にはアフリカやインド、南米なども含めて、25カ国から参加していました。日本の方も何人かいて、親しくさせていただきました。 午前中から夕方にかけては学会に出て真面目に勉強していましたが、夜は毎晩飲んでいました。ロンドン大学の院生とも仲良くなり、あっちこっちへ飲みに連れて行ってもらいました。 やっぱり学生同士は気が合って良いです。
 ロンドンに着いた日には楽しみにしていたミュージカル「オペラ座の怪人」を見に行きました。満席の観客の中で、一階席の正面というなかなか良い席で見ることができました。 クリスティーヌ役の女の子はとっても歌が上手で、役にぴったりでした。映画を何度も見ているので、ストーリーの展開を先読みして脇役の細かな演技が見れたのがとても良かったです。
 現在はストックホルム中央駅前のホテルに泊まっています。またこちらに留学したいなぁと考え始めたところです。
この公園の、ガンジーの目の前で同時爆破テロがあったそうです。お花畑・・・。
公園の花壇に鮮やかな黄色が
ロンドン最後の夜、飲んだ後に踊りに行きました
ロンドン大学の院生たち
第117報 2006年05月24日(水)
 ジャポネの時間 > 写真
 帰国して10日ほどが経ちました。回を重ねるごとに時差ぼけがきつくなっている気がします。帰国の翌々日には健康診断があり、 保健婦のおばちゃんに「体調はどうですか?」と聞かれ、「思いっきり疲れています」と応えてしまいました。これまでになく悪い診断結果が 出てきそうで怖いです。
 ストックホルムでは特にすることもなく、ぶらりと大学図書館へ行ったり、友達と遊んだりとゆったり過ごしていました。 やっぱり北欧の時の流れは緩やかに感じます。なにせメーデーの日に首相が行進する社会主義国家ですから(笑)高校の現代文で「ゾウの時間 ネズミの時間」という本を読まされたのを覚えていますが、やっぱり人間でも平均身長が低い日本人はせせこましく生きていく宿命なのでしょうか。
 12日の金曜日にはウプサラ大学に行ってきました。修論で引用したウルフ・P・ルンドグレン教授のゼミに潜らせてもらい、香りだけ院生気分を味わってきました。その後はストックホルムに戻り、ABBAの本場で「マンマ・ミア!」を鑑賞しました。良くも悪くも「スウェーデン的」反応でした。
 ロンドン大学とウプサラ大学からはそれぞれ留学受け入れを快諾していただきました。帰国後、佐藤先生に相談したところ、「そりゃ、ウプサラだろ」ということで、簡単に決定。 早ければ今年の9月から、でも多分来年の4月から1年間ほどウプサラ大学に留学することになりそうです。
 東京に帰ってから、時差ぼけ、昼夜逆転、一日二日生活とリズムが進化してきました。大学院の授業はとりあえず眠らずに堪えていますが、一向に改善の兆しが見えません。 留学生活の夢ばっかり見てないで、生活を立て直さないと。
春には春の、顔があります
長日の終・ストックホルムの夕焼け
すんごく眠かったです。
アナン国連総長講演会
第118報 2006年06月14日(水)
 社会の仕組み > 写真
 ある警備会社の謳い文句は「あらゆる『不安』のない社会へ。」だそうです。あらゆる「不安」のない社会を作ろうとがんばればがんばるほど、「不安」は増えてゆきます。そして警備会社は不安を糧に利殖を肥やせるというすばらしい構造になっています。ペ・ヨンジュンも困ったさんです。
 ルールという道具について考えてみます。僕は「優先席」が導入されるというニュースを聞いたとき、世も末だという失望感を経験した記憶があります。目の前に体の自由が利かない人がいたら席を譲る、ただそれだけの行為を「思いやり」と呼び、ルールで強制してしまいます。ルールというのは枠付けに他なりませんから、枠の外の行為は不問に伏されます。たとえば、優先席を譲らなかったがために車内で転んで死に至った老人がいたとします。 予想される世論の反応は、席を譲らなかった人を烈火のごとく攻め立てるでしょう。しかし、彼/彼女がもし一般席に座っていたとしたら、事態はどう解釈されるでしょうか。その場で起こっている現象は事実として不動なものですが、ルールによる枠付けが倫理的解釈を歪めるという結果が見て取れます。そして、現在に至っては「女性専用席」という不幸なルールまで受け入れられています。
 先生は信号無視をしてはいけないそうです。1日に3台しか車が通らないような田舎の道でも、きちんと横断歩道を渡らなければなりません。青信号で横断して事故にあったら、歩行者が責任を問われることは滅多にありません。しかし、このルールのお陰様で、足の不自由な人も、乳母車を押す人も、急いで渡る必要が生まれます。
 ルールという道具は、人間が思考を短縮し、効率的に行為を行う際に有効です。共同体はルールなくして成立しません。しかし、ルールの枠付けを問い直すことを意識せずに行動することは かえって非効率を生みます。交通ルールを作ることによって、交通ルールの違反者を作っているのです。犯罪者は社会が作っているのです。
 この意味において、昨今の「安全教育」には大反対です。大人を変態と教え、身の周りの危険を闇雲に探させて不安に訴えます。安全マップという学習は、 「あなたの周りは危険と犯罪者だらけですよ」と教えていることに他なりません。あらゆる「不安」のない社会は、あらゆる「不信」に満ちた社会となるでしょう。
 100人の共同体があった時、100人が善人ならば鍵は必要ありません。しかし、たったひとりでも泥棒がいたら、まさにオセロの駒が黒転するように、残りの99人は不信の関係に呑まれていきます。「安心」の価値とは、脆くも崩れやすく、容易に得がたいという意味で非常に貴重だといえます。 しかし、不信がなければ信頼という概念も生まれません。つまり、不信が信頼を意識させる機能を果たしているのです。
 不信は不確実性から生まれていると考えられます。不確実性が不信を生み、不信が信頼を意識させ、共同体としての引力を保っているのです。 不確実だからこそ、信頼しあわなければ生きられないのです。不確実性と不安を受け入れ、信頼からはじめる社会関係を築いていきたいです。優先席でなくても自然に譲り合う空間を求めて。
子どもたちは「雨後の晴れ舞台」に気合十分でした
前任校での運動会
9月に向け、緒を締め直して急発進です
ウプサラ大学からの招聘状
第119報 2006年07月17日(月)
 現在を遺す > 写真
 「使い捨て」と聞くと割り箸やらインスタントカメラやらをまず思い浮かべますが、最近の「使い捨て」文化は生活や思考の隅々まで 入り込んできているように思います。特に気になるのが再開発という名の使い捨て建造物たちです。次々と作られては壊されていく建物を見ていると、現代建築の本質とはいったい何なのだろうか、と考えさせられます。
 世界遺産ブームでもありますが、 日本にも何百年も前に立てられた建造物が未だに残っていて、それを遺産、文化、伝統と呼び、美しいと感じたりします。 この美しさの源は、何百年も前の人たちが、当時の 技術の髄を結集し、「遺す」ことを目的に建てたことに求められ、現代の私たちもその心意気を時代を超えて共有しているのだと思います。
 翻って、現代の建築からは何を「遺す」ことができるのでしょうか。ガラスを何百枚使ったとか、鉄筋コンクリートの超高層ビルだとか、そのほとんどが 「使い捨て」の建材に頼っています。表参道の同潤会青山アパートが80年でその幕を下ろしたのに象徴されるように、100年後から見た現在には 何も残っていないのではないかという不安を覚えます。
 アートは歴史性の中での語りでなければ認められないものだと思います。「使い捨て」の文化は未来へ遺すものを何ら生まないという点で、 アートとしての格は極めて低いと主張できます。
 教室内での実践にひきつけて考えてみても同じことが言えます。教師や子どもを機能的な存在とみなし、できるか、使えるか、 という基準で判断に正当性を与えようとすることは、 時代が生まれてから朽ちるまでは辛うじて持ちこたえるかも知れませんが、その時代の証明を「遺す」ことにはならないでしょう。 塾へ行き、試験対策をし、受験勉強をし、その場しのぎの補強を重ねていかに大きな建物を作ったとしても、 未来に対するメッセージがなければ無意味です。そこでもやはり、教師と子ども、そして学校と文化の存在論的アプローチが必要なのではないでしょうか。 「現在を遺す」という大切な営みを受け継ぐために、まさに今、エポックに立ち会っているのかも知れません。
みんなが東京に来たと思ったら、僕はスウェーデンへ行ってしまいます
WCBFキッズ、東京集結!!
学校選択について、北欧について、リフレクションについて。大いに楽しみました。
信大の教員養成GPでお話
第120報 2006年08月27日(日)
 とりあえず尽くめの旅立ち > 写真
 はい、また更新が遅れてしまいました。「スウェーデンに行ってきま〜す」と電話したら、先々で「ホームページを更新して」と 言われてしまいました。宿題に追われる小学生の気分です。
 夏休みはいろいろありました。まず、毎年恒例のアドスタ「秋川デイキャンプ」。相変わらずのノー・プランを張っていましたが、 当日は雨が降っていたり、キャンプ場が閉所していたりと、なんだかんだありました。結局、最後には程よいキャンプ場を見つけてまったりと遊びました。つるつる温泉にも入り、 満足な一日でした。
 翌日は三宅島からつばさが来たので、アドスタ再集合で餃子パーティをしました。悪ふざけは起こるべくして起き、チョコレート餃子やらガムラマサラ餃子やら、創造力溢れる作品がたくさんできました。 つばさが島から持ってきてくれた魚を煮付けたりして、豪華な夕食になりました。
 8月に入ると、熱海でアクション・リサーチ研究会がありました。2回目の参加になる今回は、知り合いもたくさんいて心強かったです。印象的だったのは、 2日目の午前中にあった実践班での発表です。詩の授業のビデオを2人の先生に見せていただき、教師、学生、研究者を交えて話し合いました。何が面白かったかは…やっぱりひみつにしておきます。
 10日は信州大学の教員養成フォーラムがありました。5月にフィンランドとイギリスに行った際に来日を依頼してきた2人の先生方がお話をしてくださいました。僕と中田さんは通訳という役を仰せつかり、2人の先生方の袂で たくさん議論を交わしました。内容は、書きたいのも山々ですが、長くなるので割愛します。
 信大のシンポから帰宅した翌朝からは江戸川区の野生体験キャンプへ。今年は女の子の班を担当しました。まぁ、いろいろな子たちがいるもので、日々が事件でした。初日から限界を超えていて、野生の意義と自分の意思との闘いでした。ともあれ、 5日間安全に過ごすことができてほっとしています。たくさん考えることがありました。
 そしてたくさんの方々に見送られ、出発です。今日はソウル経由でドイツのミュンヘンに到着しました。ここで3日間の短いバカンスを楽しんで、30日にスウェーデンに到着予定です。
若かったあの頃。そして若者を冷やかすこの頃。
アドスタ秋川の会
お見苦しいのでトンボを一匹。
今年の野生は大波乱

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