定時通報

定時通報

第111報 2006年01月20日(金)
 新しいリズムが始まりました > 写真

 寒中お見舞い申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 先週の今日は修士論文の提出日でした。僕は前日の午後から校正を始め、徹夜で謝辞と要旨を書き上げ、当日の午後一番に無事提出することができました。 同じコースの人たちも全員出すことができました。めでたいことです。僕は大晦日にようやく第二章のOKが出て、残りの半分以上は新年が明けてから書き始めるという慌てっぷりでした。 ぶち抜きで最終ランナーだったもので、とりあえずも形にして提出できたのは、まさに奇跡的なことでした。
 定時通報を見ても分かりますが、論文を書き始めてから物書きが極端に下手になっていきました。佐藤先生は「自己との対話」説で慰めを言ってくれましたが、 文章を書こうとすると、自分が何を言いたいのかが分からなくなり、どんどん泥沼に嵌っていきました。この悪循環から抜け出たのが大晦日の頃で、結局日本語として理解できる 書き口に直ったのは第三章以降でした。そんなわけで、肩肘張った論文は駄文の連なりのようになってしまいました。でも、これからでも修正は利きます。論文を公に投稿する際などに、 きちんと書き直したいと思っています。大学院生活を支えてくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。
 定時通報は一ヶ月も放ったらかしにしていました。ず〜っと論文を書いていたわけではないと思うのですが、去年の出来事はほとんど覚えていません。 「便りがないのはよい便り」ということでご勘弁を。
 修士論文を提出した翌日からは江戸川区の小学校のウィンタースクールに随行しました。なまりきった体にムチを打つように、雪遊びをして、スキーをして、 子どもたちと遊んでと、とてもエキサイティングなリハビリでした。疲れがたまっていたこともあり、3日目は頭が痛くなり、最終日の4日目は胃が痛くなりと、 無理をした感もありますが、リバウンドに負けずに楽しみました。
 そして今はユナイテッド航空の機内です。今日から27日まではカリフォルニアの旅です。お父さんがレーザーの学会でサンノゼに 滞在するので、現地集合でヤドカリをします。今回は土曜日にお父さんとサンフランシスコに行こうかと計画しています。
 この旅から帰国すると、2月と3月は小学校2年生の担任を頼まれています。産休代替ということなのですが、低学年は経験がないのでとっても不安です。 学級崩壊とかになっちゃったらどうしましょうかね。
お願いだから、無理言わないでよぉ
徹夜でがんばって、強制終了・・・。
ながのくんも笑顔で提出です
論文提出の瞬間です
第112報 2006年02月26日(日)
 桑港サイクリングとぐーたらの旅 > 写真
 一月前の旅行のことを今頃…。毎年恒例(今年で3回目)となりました、サンノゼの旅に行ってきました。 今回は学校見学などの用事をまったく入れず、100パーセント休暇の予定で行きました。シリコンバレーの中心地、サンノゼは 景気の良さを映すように開発が進んでいて、立派な市庁舎が完成していました。
 アメリカ到着2日目の日曜日には、お父さんとサンフランシスコへ遊びに出かけました。曇りときどき雨という悪天候でしたが、 自転車を借りてゴールデン・ゲート・ブリッジを渡りました。遊びなのに、ヘトヘトに疲れるまで自転車をこいでしまいました。 そして、最終地点のフェリー乗り場に着くとフェリーは行ってしまっていて、2時間近く待たされることになってしまいました。 この頃には 青空が広がっていて、橋とアルカトラスの脇を行くフェリーでは、苦労に見合う清々しい景色が堪能できました。
 サンノゼでは本当にぐーたらするだけで、一日中パソコンゲームをして、ご飯を食べるときだけホテルの外に出るという生活を してしまいました。「もったいない」と言われそうですが、論文執筆で体力を失った後なので、これでも精一杯のヴァカンスです。 夕飯は毎日豪華に、ホテルのレストランめぐりなんかをしていました。ウェーターにクレームをつけて、代金を返してもらったり なんかもして、しばしタチの悪い客役も楽しみました。イタリアンからメキシカン、インディアンなどなど、世界の料理をいただきました。贅沢な日本人です。
 帰国便ではまたまた頭痛と吐き気、そして悪寒に襲われてしまいました。なんだか、最近調子が悪いです。
 そして、帰国の翌週からは小学校2年生の担任をしています。産休に入られる先生の代替ということで、フルタイム労働者になっています。 クラスは元気そのものです。一日のうちに何度けんかが起きているのか知りませんが、とにかく目まぐるしく動いています。 毎日疲れ果てて帰ってきて、寝て起きたらまた仕事、という感じです。大変ですが、同僚の先生方も保護者の方も本当に親切に してくださるので全力で働くことができます。
ピア39から金門橋をわたり、ティブロンの先まで行きました
お父さんとサイクリング
サンフランシスコの週末を堪能しました
碁盤の目が新開地を実感させます
第113報 2006年03月28日(火)
 最近は修了式がブームですか? > 写真
 3月1日に合格発表があったかと思ったら、もう修了式です。早いもので、桜の中で迎えた入学式から2年が経ってしまいました。 「なんだかなぁ〜」という感じでうだつのあがらない日々でしたが、修士論文も出したし、必要単位もきちんと取れているし、傍から見たら立派な学生生活だったのかもしれません。
 っと、これで終わりではなく、また新たに同じような生活が始まります。博士課程は8年くらい在籍するのが普通で、さらに浮世離れした感じがあり、ちょっと不安です。 細切れに目標を立てて、日々を充実させていきたいなぁ、と内心でつぶやいています。
 23日は僕の修了式で、翌24日は教え子たちの修了式でした。2年生はたくさんの個性に溢れていて、(むしろ、「溢れかえっていて」の方が適当な表現かも)大変な面もありましたが、 毎日ワクワクしながら通勤していました。子どもたちの突拍子もないアイデアに授業が掻き回されて必死になりながらも、「面白いなぁ」と思うことがたくさんありました。 他クラスと合同で授業をしたり、サッカーの対抗戦をやったり、保健の先生に特別授業をしていただいたりと本当に好き勝手をやらせていただきました。 保護者の力もすごかったのですが、先生方の向上心には刺激されぱなっしでした。少しでもいいもの、楽しいものを作ろうとする気概が、自分の教室内だけでなく、 職員室全体に漂っていたのがとても新鮮でした。いやぁ、本当にいい経験をさせていただきました。
 昨日は良平がモンゴルへ旅立ちました。青年海外協力隊で水泳の指導をしに行くそうです。僕は「政府のプロパガンダの駒にされてるんじゃないか?」 なんて言ってちょっとつねっています。でも、どのような立場であれ、関係をしっかりと築いて役立ってもらいたいと思います。これにて林ファミリーモンゴル出張所が開設されたわけです。
 2月からは「春休み」と呼ばれてきましたが、忙しさは波を打ってやってくるもので、一向に休めません。同情するなら・・・暇をくれ〜!!  
桜が赤みを含んできれいでした
安田講堂前のベストショット
修了生のみんなで着まわして写真を撮りました
ガウンもいい記念になりました
第114報 2006年04月12日(水)
 春雨も食べられるのだと良いけれど > 写真
 「人生最後」の入学式には祖父母と母上が見に来てくれました。せっかくの桜の花びらを雨が流してしまったので、ちょっと残念な天気でした。 この日はおじいちゃんの誕生日でもあり、お祝いを兼ねて御茶ノ水のレストランで昼食を食べました。おじいちゃんは学生生活をこの辺りで過ごしたということでしたが、 何もかも変わってしまっていると言っていました。でも、神田の古本屋街には思い入れのあるお店がいくつかあって、一緒に楽しく回らせてもらいました。 おじいちゃんが学生をしていた頃から数十年が経ち、三代目がまた近い場所で学んでいるのだと考えると、巡り捲る時代を感じます。
 春なので、新しい出会いがたくさんあります。僕のコースは新しい専攻に移りました。建物も引越し中で、医学部の地下にある「放射線管理区域」などという 暗くて危なそうな地域をあてがわれました。新しい挑戦には「試練」がつきものですが、少しずつでも環境を良くしていかないと、気が滅入ってしまうと思っています。
 デューイの勉強会にも新しい仲間が次々と加わり、鮮やかな風になびかされています。「デューイ勉強会」と銘打ちながら、今はノディングスをやっています。 「幸せって何だろう?」とは、某占い師の言葉ではありませんが、学校では幸せについて教えないといけないそうです。 卒業式では、子どもたちは立ったり座ったり、頭を垂れたり起こしたり、耐えることばかりです。一生懸命練習して、立派に式を こなすと、褒められることは、すなわち「よく耐えたね」ということです。苦しみに耐えることから幸せは生まれるのでしょうか? 誰も幸せにならないやり方を踏襲するのはなぜでしょうか。より建設的に、みんなが幸せになる方法を学校教育の場で話す機会が あってもよいのではないだろうか。と、これがノディングスの刺激をほんのり受けた今の印象です。
 再来週からフィンランド、イギリス、スウェーデンの旅に行くことになりそうです。イギリスではG.ウィッティ教授らの主宰する教師教育に関する国際会議に参加し、 スウェーデンでは修士論文の研究でお世話になった方々にお会いして論文を手渡す予定です。 
景色は抜群でしたが、やっぱり勉強漬けで眺める暇がありませんでした
佐藤研・春の油壺合宿
結局、理由をつけて飲んでいるだけです(笑)
新入生を歓迎する飲み会
第115報 2006年05月01日(月)
 MayDay, m'aider!! > 写真
 戦争ごっこなどで、不利になると無線に向かって叫ぶ「メーデー!メーデー!」という文句は、 もちろん5月1日のことではなく、「助けて!」という意味なんだそうです。フィンランドではメーデーが独立記念日にあたり、 最大のお祭りの日だということでした。なんでこんな日にユバスキュラにいるんだろうか。土・日・月の3連休に暇をもてあまして「メーデー!」と叫びたくなります。
 4月21日はとても長い日でした。お昼前に東京駅で信州大の先生と待ち合わせ、今回の渡欧に関する最後の打ち合わせをしました。 そして、その足で先月まで勤めていた小学校の離任式に出席し、子どもたちと先生方と別れを惜しみながら夕方には一度家に帰りました。 9時のフライトだったので、荷物をまとめるのが精一杯という中、離任式でいただいたユリの花を置き去りにし、食べかけが残る冷蔵庫のスイッチを切り、食べたままのお皿を残したまま家を出ました。 今頃我が家は強烈な匂いが充満していることでしょう。
 13時間のフライトは満席でした。ほとんど寝られぬままパリに着き、早朝6時には凱旋門の前に立っていました。だ〜れもいない凱旋門。そこからてくてく歩き、エッフェル塔、よく分からない宮殿をまわり 9時半ころにルーブル美術館に着きました。「ダ・ヴィンチ・コード」に書かれていた美術品を巡りながら、あの小説が結構適当だったことを感じて出てきました。その後、ルーブルの近くにある「アンジェリーナ」という カフェに入り、有名なモンブランをいただきました。モンブランは以前も食べたのですが、くどくどしくて好みではありませんでした。カフェからは一直線にサンゼリゼ通りを上り、凱旋門に着いたのは3時ごろでした。歩き詰めで疲れてしまったので、エアポートバスで空港へ戻りました。 パリはきれいな街ですが、あまりいい思い出ができません。
 ヨテボリについた次の日はアレクサンダー一族とビリヤードに出かけました。キューの持ち方から教えてもらい、少しだけ上手になった気がします。 月曜日はエクランダ基礎学校へ。予備留学で初めて会い、留学中に教えていた子たちはあと6週間で卒業です。今回は修士論文と一緒に、以前にとったビデオを編集してもって行きました。 小さい頃はかわいかったのにねぇ・・・。
 火曜日はハルムスタッドへ行き、ヴェーインゲ基礎学校とカタリーナ家を訪れました。カタリーナは大学院生で、修士論文を書くときにたくさんお世話になりました。
 忙しい旅程ですが、水曜日はヘルシンキ経由でユバスキュラへ、そして木曜日は教員養成学校と大学の教育学部長を訪れました。 信州大学のプロジェクトが8月に予定している国際シンポジウムに招聘する教員を探してくるのが今回のタスクでしたが、木曜日には学部長→校長を通じて適任を探すことができ、ひとまず お役目達成です。
 すべての暇を本読みに充てていたため、日本から持ってきた本を読みきってしまいました。読書中毒みたいで、機内誌からパンフレットから、隅々まで読んでしまいます。 今日はこれからロンドンへ向かいます。
下部の小さなピラミッドの床下には大きな空間が広がっている?というが、とってつけたようなピラミッドだったぞ・・・
物語に無理があるけど・・・ルーブル
電車に乗り遅れる!と慌てながらも、たくさんお話しました
カタリーナと教育談義

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