定時通報

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第86報 2005年03月06日(日)
                                  (2005年03月08日掲載)
 ヨテボリに到着すると、いつものようにごつごつとした岩肌と泥まみれの雪が迎えてくれました。ここ3日くらいは快晴が続き、清清しい天気ですが、雪が所々で氷になり、茶色いびちょびちょのシャーベットになり、厄介です。
 インターネットに繋げない環境には物凄いストレスを感じますが、反面、読書やスウェーデン語の勉強が進みます。小学校へ行っていない日はまるで老人の休日のような過ごし方ですが、スローライフという標語で誤魔化しが利くでしょう。スウェーデンらしい生活をしています。
 月曜日は小学校と教育学部の図書館へ、火曜日はスウェーデン語の授業、水曜日は勉強の日で、木曜日は小学校とスウェーデン語、金曜日は日本人補習校、土日はイベント、という一週間です。一日1つか2つのトピックだけなので、気分が楽です。小学校では体育と英語、来週から家庭科を見せてもらいます。また、来週の月曜日から中学校へも行く予定です。ここ10年ほどの各学校の財政を調べてみようと思っているのですが、遅々として進んでいません。
 そんな中、2月17日は地元のサッカーチームの試合を見に行き、21日の深夜にはブックレア(年に一度の書籍の大セール)に出かけたり、買い物やパーティーに誘われたりと、勉強以外でも楽しんでいます。料理もいろいろ試してみたりと、何かとお金のかかることばかりです。
 日本では妹の高校入試の結果発表や、大学院博士課程の合格発表などがあったようです。家庭教師を頼まれていた子は残念な結果になってしまいましたが、4月からそれぞれの新しい生活が始まるのかと思うと、他人ながらわくわくしてきます。
 なんだか、いつにも増して纏まりのない文章だなぁ。軽度失語症ということにしておこう。兎にも角にも、早く雪が解けて春らしくなるのを心待ちにしています。
今回の来端は、このブックレアに合わせてみました
出会いを求めて並ぶスウェーデン人
地下に新しい部屋を作っているんだそうです
ベリ一家のお夕飯に招待されました
第87報 2005年03月20日(日)
                                  (2005年04月14日掲載)
 あれよあれよと言う間に、ひと月が過ぎてしまいました。小学校、中学校、スウェーデン語の授業、大学、図書館をぐるんぐるんと巡る平日と、パーティやスポーツ観戦、飲み歩きの週末との忙しいコントラストです。
 修士論文のテーマ探しは進んでいるのか戻っているのか分かりませんが、とりあえず2つは同時進行中です。先日はコミューンの教育財政を担当している方にお時間をとっていただき、財源の地方移譲の結果、どのように変わってきたかということを尋ねてきました。細かい予算・決算の資料をたくさんいただきました。教育改革のトピックは日本でも同じような動きにあり、関心も集まっていますが、修論にするには薄すぎるかなぁ、という感じもします。
 もう一つのテーマは、教師−生徒の関係性に関するものです。単純な疑問として、どうして子どもたちは学校がいやだ、勉強がいやだと文句を言いながらも、毎日毎日きちんと登校するのだろう?というものがあります。教師と生徒の力関係のトピックは1960年代からアメリカやイギリスを中心としてずいぶん文献が見つかりました。60年代から90年代頃までは、「教育は権力だ」と言われるように、教師が一方的に力を持っている(所有している)と考える前提が強かったようです。98年にMary P. Mankeがそれを「構造」(construction)だとする論を出しましたが、その後の変化はまだフォローできていません。この「構造」という論はとても説得力のあるものだと思います。生徒は教師の権力に一方的に反抗しているわけではなく、ある面では「生徒」という顔を好んで用いているということも大いに言えると思います。でも、「構造」の外部性を考えると、腑に落ちない点がいくつかあります。そんなわけで、これが二つ目のテーマ候補です。
 でも、どちらも「それで何が分かるの?」とか、「何の役に立つの?」と言われるとつらいものがあります。実質あと数日しかスウェーデンでは勉強できませんが、もう少し考えてみましょう。
休憩時間に競技場内をぐるぐる回っています
ゆうきとホッケーの試合を観戦
前校長の慰労も兼ねて、大声で替え歌を歌います
先生方のアメリカン・パーティー
第88報 2005年03月30日(水)
                                  (2005年04月14日掲載)
 22日の夕方にウィーンの空港で母親と妹と待ち合わせ、2週間のヨーロッパ旅行が始まりました。22日から25日はザルツブルグ、25日から27日はウィーン、27日の夜に移動し、31日の朝まではスウェーデンのヨテボリ、そこから3日まではストックホルムです。
 映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなったザルツブルグは、都市のサイズも手頃で、丘にはホーエン・ザルツブルグ城が聳える本当に美しい街でした。初日は疲れていたのでホテルに着くなりお休みで、2日目は市街とお城を散策した後、フィルハーモニーのコンサートへ行きました。お母さんと明子は旅の疲れと時差ぼけとはしゃぎすぎで、コンサートでは爆睡していました。3日目はバスと電車を乗り継いでハルシュタットという街へ出かけました。ここは世界遺産にも登録されている湖畔の町でしたが、とくに見る場所も無かったのですが、適当にお散歩して帰ってきました。
 4日目はザルツブルグの市街でお土産を買い、夕方にウィーンへ向けて電車に乗りました。ウィーンでは高級ホテルを予約しておいたのですが、広い部屋にきれいな調度で大感激でした。とりあえず、部屋にある家具やらリネンやらを触り倒しておきました。翌日はウィーンの市街を散策した後、楽友会館で管弦楽団の演奏を聴きました。演奏はもちろんすばらしかったのですが、建物の音響や細かい彫り物も見ごたえがありました。
 27日は早朝からウィーン少年合唱団のミサを鑑賞しに行きました。ひと月以上前から予約しておいたお陰で、まさに最高の座席でした。2階バルコニーの一番前の席だったのですが、そこ以外は合唱団の演奏がほとんど見えない位置でした。しかし、宗教とは怖いものです。なんで教会のミサで値段によって席のグレードが変わるんだろう、と首を傾げてしまいました。そんでもって、パンフレットを売り、献金を集め、最後にCDを売るというビジネス上手。子どもたちはあくびをしながら歌っていましたが、神は一度も現れませんでした(笑)。
 ヨテボリに戻ってからは、初日にSisjoという自然公園の池のまわりを散歩し、2日目は僕は中学校へ、母と妹は勝手に市街散策、3日目は再び3人でショッピング・ツアーへ行って来ました。お母さんはヨテボリでは若干大人しいですが、オーストリアでは呆れるほどに元気でした。アキレス腱を切ったとは思えない健脚、10代と20代の若者を閉口させるほどの昂揚ぶりでした。ま、元気で何より。一方明子は、一生懸命英語を使おうと挑んでいます。高校に合格して気分が良いのでしょう。僕は夕方ごろになると疲れ果てて気分も気性も悪くなります。まったく、おそろしい家族です。
本当にきれいな街でした
ホーエン・ザルツブルグ城
はしゃぐお母さんと、反比例な僕
ウィーン郊外の豪華宮殿
第89報 2005年04月16日(土)
 4月はストックホルムから始まりました。初日はガムラスタン(旧市街)からNKやOhlensの辺りへと、オーソドックに案内しました。 2日目は自由行動の時間を取り、3日目はアウトレットとドロットニングホルム宮殿へ。スウェーデンではすこぶる質素な生活をしていたのですが、最後の晩餐にダニエル神父&新婦をお呼びしたので、ほんの一瞬だけ豪華なディナーをいただきました。僕はザリガニとシャンパンをオーダーしました。お母さんはボディーランゲージを駆使した超常的コミュニケーションでがんばっていました。明子はダニエルとイェニーの優しい英語を難なく乗りこなしていました。そして外交官になる夢を無理やり押し付けらていました。(押し付けた張本人は僕です)
 家族が帰国した後は、ホテルで休んだり、映画を見に行ったり、学大ダニエル&ミンジョン夫妻と遊んだりと、ゆったりとすごしました。同じスウェーデンとは思えないほど、ヨテボリと雰囲気が違うので戸惑ってしまいました。
 5日から7日はライアンエアーを使い、片道1クローナ(16円)でラトビアの首都、リガへ。ヨテボリでの1年間の留学生活を終えたまやはらさんとご一緒しました。リガの旧市街は世界遺産に登録されていて、石畳のきれいな街でした。ラトビアは、古くはスウェーデンの領土で、最近ではソ連やロシアの支配下にあり、ようやく念願の自立を勝ち得た国だそうです。街の建物はロシアの文化はもちろん、交易で栄えた頃の欧州中からの影響が見受けられました。
 リガはスウェーデンや日本から比べるととても物価が安く、バス代40円、コーラ50円、ご飯もどれだけ食べても1000円をこえない、といった感じでした。何より、酒類が安いのには感激でした。ヨテボリに残る友達へは、お酒とマトリューシカをお土産に買って帰りました。
 ヨテボリの束の間も雑務で終わり、12日には東京へ帰ってきました。大学院の授業はすでに始まっていて、また忙しい日々が始まりました。6月1日に修士論文の中間発表があるそうで、本格的にテーマを決める時期がやってきました。もう少し自由人でいたかった・・・

 あ、それから、いつの間にか24歳になっていました。もう「なってしまいました」というべき年かも知れないですが。
街中で人の笑顔を見ることはありませんでした
建物に感激!! でも愛想がない。
激安の物価に、2万円の豪華旅行です
エキサイティング・ラトビア
第90報 2005年05月03日(火)
 東京は一気に暖かくなりました。今年のゴールデンウィークは第3節の大阪・京都以外は予定が入っていないため、ゆっくりまったりしています。
 大学院の授業は今期は佐藤先生の授業くらいしかとらないことにしました。本当は いろいろ取りたいのがあったのですが、文京区の小学校で勤務することになり、時間が とれなくなってしまいました。修士論文の時間も作りたいし、来年度のことを考える時間も 必要ですし、ゆったりペースでいきましょう。
 帰国してすぐの時期に、東京都の教員採用試験の申し込みをしました。昨年度から インターネットでの申し込みができるようになり、ずいぶん簡素化されました。 前回の試験で受かっているので、今回は一次試験の小論文と筆記試験が免除されます。 なので、夏までは何もできずにただ待つのみです。
 一方、博士課程への進学も悩んでいます。論文書くのが嫌だ嫌だと言っている訳で、 研究者になる気も無いのですが、チャンスは多い方がいい、というのが本音です。いたって 不純な動機です。本当は大学卒業時にもチャレンジしかけた、イギリス留学をしたいと 思っています。PGCEという大学卒業後証明のコースで、1年間の実習と座学をこなすと、 教員免許がもらえます。イギリスで教員免許を取れば、ヨーロッパの協定国とオセアニア諸国、 北アメリカの英語圏では教授ができるとふんでいます。でも、先立つものは英語力とお金です。 PGCEのコースに必要な語学テストの点数は概ねクリアできているのですが、希望する大学に入るには まだ努力が必要です。お金は・・・ないです。そんな訳で、学歴のブランク無く留学するには、とりあえず博士課程に進むのが良いかなぁ、と考えています。そんなに甘くないかも知れませんが。勉強は好きなんですけどね。
 電車の事故が大きくニュースで取り上げられています。ヨーロッパの新聞も大きく報じた様子で、 各地からお悔やみをいただきました。良平は近くに住んでいたそうですが、巻き込まれていませんでした。
 それよりも気になっているのは、越谷市の新任教師が図工室で首吊り自殺をした事件です。 最近は新規採用が極端に多くなっていて、学校は大変そうです。来年度かいつかは分かりませんが、 僕もそのうち新任になる訳です。でも、初任でいきなり学級担任を任される現状は大量採用時代には 宜しく無いと思います。ベテランの先生と2人で2学級を担任するなどの方法を考えるべきだと思います。 そもそも、先生が初任者研修を受けながら学級担任をするというのは、研修中のパイロットが客を乗せた 飛行機の操縦桿をひとりで握っているようなもので、おかしな制度です。さらに言えば、初任者研修は教員養成機関に在学している間になされるべき教育のはずです。今回の事件の学級では、新しい若い男の担任に、子どもたちは大きな期待をしていただろうと思います。その子どもたちの事件後の孤独を想像すると、 憤りすら感じます。朝日新聞や読売新聞は、なぜかWEBニュースからこの記事を削除していました。 誰にとっても悲しいニュースでしかないのですが、もう少し事件を考えるムーブメントが起きても良かったと思います。
 などなど、将来を考えているゴールデンウィークです。  
みなさん未知の世界へ
アドスタ結婚会見パーティ?
青しそ、パセリ、オクラとディルを植えました
はやく大きくなってください

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