定時通報

定時通報

第71報 2004年09月06日(月)
 定時通報もスウェーデン留学中から始まり、ついに第71報まで数えてしまいました。 やめたい、やめたい...と漏らしつつ、多くの方の励ましとプレッシャーを受けながら 書いています。あとひと月でホームページ開設から2年目を迎えることになりますが、 継続の果実というか、個人的には良い記録になってきていると思います。 とはいえ、スウェーデンにいた頃は毎週変化と発見に富んだ生活を送っていて、 「定時」通報が苦にならなかったのですが、帰国後はついつい更新が遅れてしまいます。 悪しからず、気楽にお付き合いください。
 26日はアドスタの面々が僕の部屋に集まってパーティをしました。 直前に教員採用試験を受けた2人と、翌日公務員試験の結果発表が控えているお嬢という メンバーでしたが、気遣いなく過ごせました。深夜に騒いでしまい、 ご近所様には大変ご迷惑をおかけしました。塩野嬢は念願が叶って鶴ヶ島市に 合格したということで、湯島天神の御守りを送った甲斐がありました。教採の2人もまずまず 受かりそうなので、来年の授業参観が楽しみです。
 9月の第1週は、フィンランドからエンゲストローム氏とその奥様がいらっしゃるということで、 成田空港へのお出迎えと、講演会原稿の和訳を分担しました。エンゲストローム氏は ヘルシンキ大学とカリフォルニア大学の教授をなさっていて、活動理論について研究されています。 とても偉い学者さんらしいですが、著作を読んでも何を書いてあるのかさっぱりです。 たいそうひょうきんな方で、講演も飽きずに楽しく聞くことができました。 フィンランド人の英語ということで、とても聞き取りやすかったのですが、 内容が難し過ぎて意味は少ししかわかりませんでした。 今回は日本心理学会の招聘で、奥様を伴って来日されていました。奥様は イタリアの大学で料理の心理学を研究されているそうです。 フィンランド、アメリカ、イタリア・・・普段はどういう生活をしているのでしょうか。
 昨日は江戸川区の野生体験キャンプの指導者のうち、若手を中心とした勉強会「若人+の会」 の旗揚げの日でした。とりあえず、キャンプで必要な技術や知識を自助努力と相互扶助で 底上げしよう、という趣旨で「里美における救急法」をテーマに話し合いました。 また、今後の活動の方向性なども検討し、「気楽にがんばろう」といういつもの 雰囲気に収斂されることとなりました。仲良く楽しくやりましょう。
 さて、今月の修論指導会まであと1週間となってしまいました。 まったく進歩していません。はぁ。また今回も「研究計画は 白紙です」ではさすがにまずいのですが、研究課題はかけらも見えず。 お金があればスウェーデンに行って数多のインスピレーションに 包まれてくるのですが。読みましょう、本を!!!・・・がんばります。
合言葉は「ピンポン・フェノミナン」(患者をたらい回しにすることの喩え)
エンゲストローム氏講演会
むし歯にはウィスキーが効果的だそうです
野生「若人+の会」始動!!!
第72報 2004年09月21日(火)
 東京大学では大学院生の入学試験がありました。初めてあの赤門(今は鬼門と呼んでいる) をくぐってからもう一年も経ちます。僕が受験した去年の試験では、それまで冬に行われていた試験が 秋になるということで、受験生が減ればいいなぁ、などと思っていました。 教員採用試験に危機感を感じ、「英語と教育学の問題なら勉強しなくてもいけるかも知れない」との 短絡的な目算で無目的に受験したので、入学してからが試練と後悔の連続(継続)の日々ですが。 前期に研究生として授業でご一緒した留学生の二人も見事に合格されたそうで、来年からは後輩になります。 そういえば去年のこの時期は、僕が合格したはいいけれど、片割れの良平の進路が決まっていなかったので 一番もやもやした時代だったかもしれません。誰よりも良平思いな僕です(笑)。
 今日たまたまテレビをつけたら、母校の水泳部がウォーターボーイズをやっていました。 僕は高校のときはテニス部と水泳部、そして地理部に所属していたので、彼らは直系の後輩にあたります。 もともとクイズ選手権でアメリカに行ったり、盗撮で教師が捕まったり、台風で体育館の屋根が吹っ飛んだりと 目立つ学校でしたが、ポジティブにアピールできるのは良いことです。最近は有名大学への進学率低下や 生活態度の悪化が耳に入っていましたので、尚更うれしいです。
 高校時代は水泳部、と書きましたが、おそらく僕がいた頃が最衰期だったと思います。僕も テニス部のほうをメインにしていたので、雨の日や夏場の大会前にだけ調子よく参加していました。 「バタフライ専門」などと言って、大会では短距離から長距離まで全種目のバタフライを泳いだりしていました。 今も昔もふざけた人生を送っております。反省。
 今月の修論指導会では、研究計画「白紙」を撤回し、「やっぱりスウェーデンでいきます!」と意気込んで 、スウェーデンの教育法制度をさらって報告しました。佐藤先生のおぼえは殊の外めでたかったのですが、 準備していながら感じたのは、スウェーデン語−日本語訳の難しさでした。もっと時間をかけて 丁寧にやらねばなりませんね。来月は教育財政が地方に委譲されていく過程を公文書から追っていけたら、 と思い、翻訳を始めたところです。しかし、そろそろ国内での資料収集には限界が来ています。 再来月からは教職員労働組合の機関紙などを見たいと思っているのですが、調達方法が見つかりません。 ま、できることからこつこつとやりましょう。
 明日から10日間、山形県の遊佐町へ武蔵野市の小学生と伴って行ってきます。後期の授業のために 子どもと大自然からエネルギーを集めてきます。
授業でご一緒した研究生、来年から晴れて後輩になります
入学試験も一巡目です
僕が水泳部の頃は最衰期でした(涙)
母校がウォーターボーイズやってます
第73報 2004年10月02日(土)
 9泊10日に亘る小学生の集団宿泊行事から帰ってきました。山形の大自然と5年生のかわいい 子どもたちの元気に囲まれ、精神的に健康になった気がします。子どもの活動場面の写真が掲載できないので、 「つまらない」と酷評されそうですがご容赦ください。
 5年生の社会では米と流通の勉強をします。「水曜日の担任」をしているさいたま市の小学校でも、 春に植えた学校田の稲穂が垂れてきました。今回の武蔵野市の宿泊行事では、米の入庫検査、 備蓄倉庫、精米センター、農業試験場などを見学し、最後に稲刈りを体験しました。都会の子どもが 「肉は工場で作られている」と発言したという笑えない話がありますが、実践的な学びを求めて 山形まで遠征できるとは、羨ましい環境です。
 蛇足ですが、スウェーデンの小学校では、こういった宿泊行事も子どもたちが自主的に計画することがあります。 エクランダ基礎学校の5年生を教えていたとき、学級会で「イタリアにサッカーを見に行きたい」という 意見を出した子がいました。そのクラスでは提案を受け入れ、担当を決めて計画を立てることになりました。 金策が一番大きな課題ですが、交通手段の確保、保険や旅程の企画なども子どもたちが中心となって 決めていきます。金策の手段としては、企業や商店、新聞社などにスポンスを頼んだり、バザーやディスコを 開いて稼いだり、アルバイトをしてお小遣いをかき集めたりと、ありとあらゆる方法を試します。 残念ながらこの年度には旅行は実現しませんでしたが、子どもたちは一連の活動を通じて 多くの実践的なことを学びました。
 たとえば、日本の子どもたちが同じような活動をしようとしたとき、多くの障害が考えられます。 それらの障害の根底には、「子どもの能力を徹底して信頼する」ということに二の足を踏んでしまう 日本人の意識があるように思います。そうかといってスウェーデンにはそういった信頼が浸透しているかといえば、 それはごく一部の力量のある教師の場合だけであって、その他は日本と大差はありません。実際に、数ヶ月前のスウェーデンの新聞では、ストックホルムの中学生がクラス旅行でカリフォルニアへ行くという ことの是非をめぐる論争を記事にしていました。学校行事は普段の教育活動に対する姿勢が如実に露呈される ので、本当に面白いと思います。
 子どもたちの様子や学習で気がついたこともたくさんあるのですが、まだ自分の中で 消化できていない部分が大きいので、纏まったら別の場所で書きたいと思います。
 今日は一日中寝ていたかったのですが、昼過ぎからは北欧教育研究会があり、 国立教育政策研究所へ行ってきました。隔月の研究会で、今回のテーマは「ノルウェーの教育と社会」 でした。東大の先輩の中田さんが教師教育改革について発表し、オスロ大学のハンナさんが 日本人とノルウェー人の結婚の条件についてお話されました。今回もスウェーデンの場合と比べながら 聞いていましたが、疑問に思っていたことが晴れたり、新しい知識が入ったりと勉強になりました。
 来週から冬学期が始まります。それと同時に、江戸川区の小学校での非常勤も始まります。生活が 一気にテンポアップするので、今から不安が大きいです。子どもたちの元気を研究のエネルギーにして がんばります。
吹浦漁港から鳥海山を望む
冬学期のエネルギーを充填
研究会後の親睦会はいつも盛り上がります
隔月の北欧教育研究会
第74報 2004年10月12日(火)
 ハイテンポな一週間が終わりました。月曜日と火曜日は大学院の授業、水曜日はさいたま市の5年生の 担任、木曜日と金曜日は江戸川区の5、6年生の算数担当です。さいたま市の小学校では、家庭科で「ボタンつけ」 を教えました。クラスの全員が「二つ穴ボタン」を完成することができ、まずまず満足でした。江戸川の小学校では野外給食が予定されていたのですが、 台風接近のため、教室内でビニールシートを敷いて食べることになりました。
 週末の三連休も大忙しです。金曜日の夕方から、京都大学の大学院で教育学を研究されている遠藤さんが 我が家へ泊まりに来ました。遠藤さんとは熱海での「教育のアクションリサーチ研究会」以来のお付き合いですが、 今回は日本教育方法学会での発表を控えて上京されました。この晩は、東大の中田さんに材料調達を お願いして、キムチ鍋をやりました。豚肉、キムチ、白菜、豆腐、にら、きのこを入れて、軽く煮込むだけでしたが、 とてもおいしくできました。
 翌日は遠藤さんとともに和光大学で開催された方法学会に参加しました。50年来最強の台風22号が 近づいていて、大雨と大風で電車が止まるか心配でしたが、とりあえずはセーフでした。佐藤先生をはじめ、 東大の先輩方も発表されていました。スウェーデンの性教育に関する発表もありましたが、こちらは 不満足な内容でした。学会の後は御茶ノ水へ戻り、東大の先輩方と飲みに行きました。台風直撃中に 移動したので、スーツから革靴からびしょびしょになってしまいました。
 日曜日は江戸川の区民祭りに参加しました。夏の野生体験キャンプを主催している団体が竹笛を 作るブースを設けていて、そちらを手伝いに行きました。竹笛は大賑わいで、順番待ちの列ができるほどでした。 祭りの後は「わかばの会(旧称: 若人+の会)」で定例会をもちました。会の運営方針や今後の予定について話合いました。
 昨日は障害児教育に携わるスウェーデンの先生方が来日し、東京案内をしました。外国からの お客様を案内すると、根本的な質問をされることがあり、自文化を省察する機会が多くあります。 今回も、歌舞伎を見に行きたいというリクエストに応え、初めて歌舞伎座へ行ってきました。歌舞伎は 音楽の教科書や教育テレビで見るくらいでしたが、ライブで見るとやっぱり面白かったです。歌舞伎に続いて 秋葉原へ。どこで知ったのか、「メイドカフェに行きたい」という要求があり、これまた初めての体験をしてきました。 しかし、若い男性がしんみり楽しんでいる空間で、スウェーデンのおばさん連中が10人がかりで押しかけたので、 お店は本当に嫌そうな顔をしていました。
 電化製品を揃え、一通りアキバ文化を感じたところで、原宿へ移動しました。原宿には「オリエンタル・バザー」という、 外国人向けの土産屋があり、そこで息子や孫に小物を買いたいということでした。買い物の後は 裏原宿のお好み焼き屋で夕飯を食べました。
 先日、香港のピーターから久しぶりにメールが来ました。身長が伸び、クラスで一番くらいの長身だということです。 勉強も大変だそうですが、がんばっていると聞いてうれしくなりました。また、今夏に甲子園出場を果たした 盛岡の畠山竜哉くんが、東北大会のベスト4に進出し、あと一勝でセンバツ出場権を獲得するそうです。 来春も良平邸での宿泊決定かな?!
キムチ鍋は大成功でした
京大の遠藤さんを囲んで
歌舞伎を見に行きました
シャスティンご一行が来日
第75報 2004年10月28日(木)
 地震と台風が交互にやってきて、拉致やら原油高やらと落ち着かないニュースが続いています。前報の時点で甲子園まであと一勝だった 畠山竜哉くんは、惜しくも敗れ、センバツ出場はなりませんでした。お父様が試合の翌週末に上京し、我が家へ泊まっていきました。東北大会では 打率が5割と好調で、最近はようやくホームランも出るようになったというお話しで、来夏に向けて頑張っているそうです。
 久しく更新できなかったのは、月曜・火曜は大学院の授業、水曜はさいたま市の5年生の担任、木曜・金曜は江戸川区の5,6年生の算数担当と、 目まぐるしい生活を送っていることに因ります。忙しいと、部屋が散らかり、メールは滞り、食は疎かになりと、精神衛生上とてもよろしくありません。 最近はすこしずつ慣れてきたので、勤務後に飲みに行ったりする体力もついてきました。
 そんな中、大学院の授業で幼稚園と保育園が一体化した施設へフィールドノート(観察記録のようなもの)をとる実習に出かけました。 僕は5歳の子どもを観察したのですが、複雑に頭をめぐらしている様子や人間関係の 展開の速さに驚き、幼さと濃密さの深みを感じました。次の週にはフィールドノートを検討する時間が設けられたのですが、 そこでふとした疑問を抱きました。というのは、「研究」と言いながら、現実に起きていることを忠実に汲み取っているのではなく、 自分の文脈に添う情報を無意識につなぎ合わせて記録を作ってしまうのではないか、という疑念です。昼ごはんを食べながら同級生とも 話をしたのですが、「しょうがないかねぇ」くらいに落ち着いてしまいました。考えてみれば、文系の論文というのは、著者の設けた あるストーリーから逃れることはできないのかも知れません。歴史研究を例にとって、 「ストーリーがなければただの事実の羅列になってしまう」と同級生が指摘していました。浅はかな問いですが、納得がいかないのでもう少し考えます。
 先月のセカンド・スクール(集団宿泊行事)で関わった武蔵野市の小学生から、大変心のこもったお礼状をいただきました。 セカンド・スクール中はたくさん説教をしたのですが、子どもたちはそのひとつひとつをよく覚えていてくれているようです。 僕は子どもたちと接していて、何か心情が同化する瞬間を味わうことがあります。それは大概興奮状態の後の落ち着いた瞬間であることが 多いのですが、僕が感じた心もちなり印象を、子どもも同じ感覚で記憶していることがあります。そういった瞬間が関わりの妙味だと感じます。
 さいたま市の学校でも、そろそろ「お説教モード」に入ってきました。戦略として、第一次は仲良くなる、第二次はだらだら、べとべとする、 そして第三次がお説教モード、となります。第三次を越えると、無言でも同じ空間を共有できる関係性になる、というのが僕の認識です。 ま、これは文章では伝えきれないので、あまり詳しくは書きませんが。
 12月まではフル・スケジュールで、息を抜く暇をとるのが難しいですが、サボりサボりペースをつくっていきたいと思います。ご迷惑をおかけする皆様方、大変申し訳ありません。
ウメオ大学教育学部で科学教育の研究に携わっておられます
オレグ・ポポフ氏来日講演会
武蔵野市のセカンド・スクールから早くもひと月です。
心のこもったお礼状をいただきました

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