定時通報


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定時通報−目次
第51報 2004年01月23日(金)
第52報 2004年01月31日(土)
第53報 2004年02月11日(水)
第54報 2004年02月19日(木)
第55報 2004年03月08日(月)

第51報 2004年01月23日(金)

 卒業論文を出し終えたその足で、病床に臥している祖父を見舞いに姫路へ行ってきました。 見舞うといっても何ができるわけでもないので、冷蔵庫の掃除をしたり、リモコンの電池を入れ替えたりと、 普通に暮らしてきました。日曜日の夜に東京へ戻り、山積の課題に取り組みました。
 大学の授業はあと2週間です。出席はきちんと管理しているので問題はないのですが、テストやレポートの 提出日が集中しているので、2月の上旬は大変そうです。
 そんな現実からか、歯が痛くなりました。行きつけの歯医者(変な表現だ)へ行って、「奥歯が痛むんです」 と説明したのですが、むし歯は無いと言われました。「疲れすぎですねぇ、体調が悪すぎますよ。歯ぐきも痛んでますし、 歯覚過敏になってますね」と言われてしまいました。歯医者に内科的なことを指摘されてびっくりです。
 体調が悪いのはいまさらの話ではないのですが、そろそろ遊ばないと♪ということで、アメリカ西海岸へ来てみました。 と言っても、遊びだけではないのですが。お父上がサンノゼで学会があるということで、僕もついてきました。 カリフォルニアには「チャータースクール」という公設民営学校の有名なものがあるので、見学させてもらいます。 当初、サンノゼ・エジソン・アカデミーというところに連絡を取っていたのですが、「サンノゼ」とは名ばかりで、 着いてから調べてみたら、ロサンゼルスの東にあって、ホテルからは車で5時間半かかると言われてしまい、愕然としました。先ほど サンフランシスコの別の学校にアポをとることができたので、月曜日はロサンゼルス、火曜日はサンフランシスコと、 南北を行き来する強引なスケジュールになってしまいました。また疲れがきそうな気配です。
猛ダッシュで撮影してきました
姫路城天守閣
飛行機に乗るのは25回目くらいです
鰯雲と日の出
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第52報 2004年01月31日(土)

 木曜日に無事に帰国しました。時差ぼけで早寝早起きになっています。アメリカでは、2日目にお父さんと合流し、サンノゼ市内を一緒に歩いて回りました。 お父さんは学会があるため、朝と夜以外はほとんど別行動でした。2日目の夕食はメキシカンのファーストフードをいただきました。メニューの意味が分からず、適当に指差しで注文したのですが、 予想以上においしい食べ物が出てきました。生地の中に米と豆、豚肉や野菜が入っているもので、新しい味でした。
 土曜日は一人でサンフランシスコ市内を観光して来ました。パンフレットなどでよく見かける風景がたくさんあり、とても楽しかったです。いつもの通り、本屋やCD屋、洋服屋に入っていろいろ物色してきました。
 翌日は朝から飛行機でロサンゼルスへ飛びました。例の「サンノゼ」小学校へ行くためですが、ロサンゼルスの南の街、ロングビーチに友達が留学しているため、泊めてもらうことにしました。授業登録やテストの前で忙しい時期だったようですが、 無理を言って楽しませてもらいました。ロングビーチは暖かくて、とてもきれいな街でした。ビーチまで散歩して、展望の芝生で散々はしゃいできました。
 月曜日はいよいよ「サンノゼ」小学校です。5時半起床で、公共交通機関を駆使して訪問しました。この学校は、エジソン・プロジェクトという会社が運営する公立学校で、 行政が民間に学校運営を委託するという、新しい試みをしています。エジソン・プロジェクト社は全米に50数校の公立校を展開し、共通の教材やカリキュラム、運営方式などを導入し、それぞれの学校をネットワーク化することで 公教育にビジネスチャンスを切り開こうとしています。今回の旅行ではサンフランシスコの小学校も見学させてもらいましたが、両校とも本当に同じ方式で運営されていました。 公教育に市場原理を導入することには賛否両論の激しい論議があるようですが、アメリカの公教育水準の低さを考えると、エジソン・プロジェクト社の目論見は確実なものに思えました。スウェーデンでも、このチャーター・スクール制度と同じような「フリーストーランデスコーラン」というものがあるので、2月の渡端のためにも面白い比較対象を得られました。
 さて、来週はテストやレポートの嵐が吹き荒れる模様です。いよいよ大学生活もカウントダウンです。頑張らないと。
ピラミッド(右)とゴールデン・ゲート・ブリッジ(左)
サンフランシスコの名所を一望
リゾートなのではしゃぎまくってきました
マリモの郷、ロングビーチへ
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第53報 2004年02月11日(水)
[2004年03月08日(月)掲載]

 今はフィンランドへ来ています。いよいよ欧州旅行の始まりという訳なのですが、 非常に体調が悪く、困ったものです。土曜日ごろからタンが出始め、気管が痛くなってきたなぁ、と思っていたら、 今日のフライトではそれが極地に達したようです。息苦しくって仕方ありません。 成田からコペンハーゲンまでのフライトでは、体中に蕁麻疹が出て、痒くて痒くて大変でした。体中が赤く腫れてきてしまったので、 フライトアテンダンドにスキンクリームを借りて塗ったのですが、あまり効果はありませんでした。これからの旅行が心配です。
 どうしてこうなったのかは、本人が一番よく知っています(苦笑)。先々週にアメリカから帰国してからは、テストにレポートにお付き合いにと、まさに「怒涛」の一週間でした。 週末は7つのレポートと3つの試験を抱えててんてこ舞いでしたし、火曜日も卒業論文発表会の片手間にレポートを提出する、という有様です。 留学していた1年分を他の人より頑張らないといけないので、かなり厳しかったです。飲み会も次々やってきて、「卒業できるか分からないお祝い会」など、 いたって季節商品なイベントがたくさんありました。
 そんな弱気も火曜日までで、とりあえずすべての授業の課題をすっきり終えることができ、卒業に向けて やるべきことは精一杯やりました。そして、どっと疲れが出てきたわけです。そんな訳で、自らも充分納得しております。
 明日からはフィンランドの学校を訪問します。この学校は、2000年にOECDが行った国際学力調査(PISA)で世界一の成績をおさめた中学校と、 その中学校に進学する子どもたちが通う小学校です。「問題解決型学習の適切な指導が成績向上に結びついている」と分析されていますが、その実態と 実践の様子を見てこようと考えています。
高知でも頑張ってください
是永さん送別会
何が待っているのだろう??
フィンランドへ向け、テイクオフ!
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第54報 2004年02月19日(木)
[2004年03月08日(月)掲載]

 先週末にフィンランドを発ち、今週はスウェーデンのヨテボリにいます。フィンランドでは、OECDの 国際学力調査で世界一の成績をあげたヴォイオンマー中学校と 、その中学に接続する小学校を訪れました。ヴォイオンマー中学校には各国から研究者が訪れていて、日本のNHKも去年取材に来ています。 この学校が学力調査で成果をあげた要因として、小学校の校長は「学習に困難を抱える子をフォローする体制」を指摘していました。 また、中学校の校長は、大学の教育学部に近いという立地条件が優秀な教員の確保を助けていると考えていました。 中学校の先生は全員が修士以上の学歴を持っていて、非常に熱心なムードがありました。また、教員養成課程での実習期間が長かったり、 軍隊への徴兵代替として学校で実習をする人など、若いアシスタントがたくさんいたのも特徴でした。
 土曜日は学校訪問の疲れを癒すべく、ノルディック・スキーに初挑戦しました。とはいえ、単に北欧でスキーをしただけで、ゲレンデを普通に滑っていました。 日本と違って人が少ないため、リフトに並ぶこともなく、人をよけながら滑る必要もなく、転んでも(あまり)恥ずかしがらずにすんで、思いっきりできて楽しかったです。
 翌日はいよいよスウェーデンです。ヨテボリでは、半年前まで実習をしていたエクランダ基礎学校とレクスビー中学校、そして以前にも訪問させていただいたオーイェルショー学校を訪れました。 こどもたちや先生方がたくさん声をかけてくれて、うれしかったです。エクランダでは去年お世話になったナタリーの案内で校舎を一通り見て回り、 その後は個別に見たいところを見せてもらいました。今回の旅行では信州大学の助教授と彼の学生5人をお連れしていたので、 たくさんの黒髪が押し寄せて、子どもたちも珍しがっていました。
 レクスビーでは、校長とパティレ市の教育長の計らいで、上客扱いをうけました。 火曜日はパティレ城へ招かれ、「特別な人に招かれた時しか食べられないのよ」という豪華昼食を いただきました。また、その後はローカル新聞が取材に来て、翌日の1面にでかでかと載りました。
 オーイェルショーでは、特別教員のシャスティンと校長先生がプログラムを組んでくださり、「統合から包括へ」という先進的な改革に取り組んでいる障害児教育の 現場を見せていただきました。障害のある子を@特別教室で支援するA特別教室から普通教室に通わせて支援するB普通教室で包括的に支援するの3段階で支援の方策を立てていました。
 学校訪問中の3日間は知り合いのダニエル(愛称:ミラクル神父)に信州大ご一行の通訳をお願いしました。 また、放課後は晩餐に招かれたり、アイスホッケーやミュージカルを見に行くなど、かなりハードなスケジュールでした。
そのくせトイレに金がかかる
フィンランドは寒かった
パティレ城で昼食をいただく
上客扱いでホクホク
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第55報 2004年03月08日(月)

 金曜日は再びエクランダを訪れ、退職した先生などとお会いしました。この日は各自自由に学校内を回れるようにお願いしたので、子どもたちも信州大の学生と仲良くなったようでした。 放課後はヨテボリの日本人補習校にお邪魔し、授業を見せていただきました。先生方がほとんど入れ替わってしまい、去年からいる先生は2人だけでしたが、こどもたちも変わりなく元気にやっていました。
 翌土曜日は全日自由行動としました。久々にヨテボリの街を見て回り、お土産や雑貨などを買ってストレスを解消しました。日曜日の昼には信州大のご一行が帰国したので、見事に普段の適当モードにスウィッチしました。 日曜日の夜はヨテボリ大学とチャルマーシュ工科大学で勉強している日本人留学生が大集合し、持ち寄りパーティーをしました。
 月曜日からはさらに3つの学校を一人で訪問しました。去年までエクランダで働いていたカリーナが新しい学校へ 「プロジェクト・リーダー」として赴任し、新しいプロジェクトを始めたというので見せてもらいました。午前中だけで忙しいスケジュールでしたが、 新しい考え方をたくさん見せてもらいました。火曜日は、留学中に家庭教師をしていた子のお母さんが勤める学校を見せてもらいました。 この学校は、去年まで3から5年生を統合した異学年グループで授業をしていたのですが、今年から学年別のグループ編成に変更したそうです。 先生方は「授業の進度がとりやすく、教えやすくなった」と述べ、子どもたちは「友達が作りやすくなったと」答えて、概ね積極的に捉えられているようでした。
 木曜日にはヨテボリを発ち、オランダのマイケル家にお邪魔しました。半年毎に会っているのですが、毎回いろいろな変化が見られて楽しいです。 マイケルは中学校に入学して、とてもよい成績をおさめているそうです。野球も続けていて、年長の選手に混じって楽しく練習していました。
 日曜日はマイケルのお母さんにアムステルダムまで送ってもらい、空路ロンドンまで飛びました。ロンドンではエリザベス女王から表彰されたスーパー校長、シャロン・ハロッズにコンタクトを とっていたのですが、彼女の娘さんの病気が思わしくないようで、お会いすることができませんでした。そこで、ロンドンにいる3日間は、シャロンが一昨年から改革を進めている小学校を見学させてもらいました。 ヨーロッパでは教員不足が深刻で、この学校も漏れなく問題を抱えていました。シャロンが校長に就任すると、高給を取っていた老教員をリストラし、多くの優秀な教員やアシスタントを低給料でたくさん雇いました。また、 家庭との役割分担を文書化し、保護者の教育参加の機会を明確化しました。シャロンは今春から校長職を退き、行政の仕事を任されることになったそうです。
 ロンドンは物価が高かったので、放課後は買い物もそこそこにインターネットカフェに入り浸っていました。疲れも相当だったので、 ホテルに帰ってからは寝るのみ、という生活でした。木曜日にはロンドンを発ち、金曜日に東京へ帰ってきました。
 これからは引越し先探しと年度末の飲み会ラッシュです。
ヨテボリの日本人留学生が大集合
適当モードにスイッチ
純正スウェーデン家族
アレクサンダー一家に招かれる
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