定時通報

第136報 2007年04月29日(日)
 ふるさとは遠きにありて思ふもの > 写真
 ウプサラ大学の研究者と共同研究を始めようという話が持ち上がっていて、その下調べをしていたところで面白い歴史を見つけました。 時の頃は今から134年前の1873年4月24日、積もる雪を見ながら、岩倉使節団がストックホルムに到着しました。使節団は王宮や病院、博物館、マッチ工場などを精力的に見てまわり、 4月29日の午前10時半からは小学校を訪れています。記録には「・・・男女ノ童生スヘテ五六歳ヨリ、十四五歳マテヲイルヽ、総テ生員一万人、大抵貧民ノ子女ニテ、普通ノ学科ヲ教ヘ、出校ノ後ハ、各其家業ニツク、一切ノ費ハ、学校ニテ辨シ、家家ヨリ出スコトナシ、学費ハ市中ヨリ醵金ナリ」 とあり、この時代から貧富の差に関わらずに初等教育が施されていたことが分かります。また、運動操銃などの指導方法はアメリカ流を導入したという説明を聞いて、「西洋ノ容儀ハ立行ニアリ、猶日本ノ容儀ハ座跪ニアルカ如シ」と記しています。「スウェーデンと日本の学校はどこが違う?」という質問をよくされますが、この記録は鋭い点を突いているように思います。
 さて、岩倉使節団がストックホルムを見てまわった百数十年後のちょうどその日、我が家のおじいちゃんとおばあちゃんがスウェーデンにやってきました。 日本の旅行社の北欧3カ国ツアーで来たので、ストックホルムには20時間ちょっとの滞在時間しかありませんでしたが、午前中はガイド・ツアーに一緒に参加して、午後はゆっくり旧市街を歩きながらお買い物をしたりカフェでお茶を飲んだりしました。 せっかく地球の裏側まで来たのだから、できればもっとゆっくりしていってもらいたかったのですが、ともかくも貴重な時間を一緒に過ごせてよかったです。スウェーデンはまだ観光シーズンの手前で、旧市街もそれほど混んでおらず、市庁舎にいたっては貸切状態でした。 日本語のガイドさんがついていろいろ教えてくれたので、今度お客様がいらしたときにはちょっと知ったかぶりができそうです。おじいちゃんとおばあちゃんはノーベル賞のメダルを模したチョコレートを70個お買い上げになり、お店の人がとっても喜んでいました。 また機会があればぜひ北欧に足を運んで欲しいです。
 先週は桜がとてもきれいでした。ウプサラでは研究所のすぐ近くの公園に3本の桜が植えられていて、強風に耐えながら美しく咲いていました。ストックホルムでは王様公園の桜並木が咲き比べをしているようでした。 桜を見ればシートを敷いて日本酒を飲むという情景が恋しくなるのですが、こちらでは公共空間で酒盛りをしたら捕まってしまいます。文化の違いは身体に毒です。
 とか言って、週末にはしっかりちゃっかり友人宅で花見なぞを済ましてきました。最近体調が良くなって、元気も出てきて、楽しい日々です。そして、明日はウプサラの学生たちが一年で最も張り切る日、ヴァルボリです。朝から晩まで、更には翌日まで、何処彼処でパーティ狂乱になるんだそうです。覚悟して飲むぞ(笑)
短い滞在でしたが、来てくれてうれしかったです
祖父母がはるばる来端
花より団子だけど、やっぱりさくらもきれい
お花見&焼き鳥の会

第137報 2007年05月09日(水)
 シャンパンは浴びずに飲むべし > 写真
 4月30日はヴァルボリでした。朝から町のはずれの学生寮にシャンパンを抱えていって、「まま、とりあえず」とうい感じでかけつけ一杯。 9時過ぎにはボートレースの会場に向かったのですが、その時点で歌いながら自転車をこぐ程の酩酊状態。でも川につく頃には程よく酔いが醒めていて、春の気まぐれの寒さに気がついたのでした。 ボートレースは10時から始まり、工夫を凝らしたものからガラクタの寄せ集めまで、たっぷり魅せてくれました。観客の中にはたまごを用意して投げている輩もいて、仕返しにオールで水をかけられてたりしました。 ウプサラに引っ越してすぐの頃、元同僚の先生から「フィーリス川には絶対に飛び込むな」と忠告されました。彼の弟はこのボートレースに参加して、川の水を飲んで腹痛を起こし、1週間入院したのだそうです。 僕たちは比較的離れたところから見ていたので水を浴びることもありませんでしたが、たまご野郎はもしかして哀しいメーデーをおくったのでしょうか。
 ボートレースを見終えたころには小腹がすいてきたので、ユリア(ドイツ人)の案内で街中のカフェへ行きました。結構な混みようだったので、一杯飲んだら失礼しました。 その後はのんべぇで溢れると聞いていた経済学部の芝生を通り抜けて、日本人家族のお庭ピクニックへ。 夕方まで飲んだり食べたりしゃべったりして、無事に帰路につきました。そして夜はウプサラ城で歌われた学生の合唱を少しだけ見ました。昼間は太陽も出ていい天気だったのですが、気温は低く、風も少しあったので寒く感じました。 そして夜には試練のみぞれが細々と降ってきて、ものすごく寒かったです。ともかくも、ウプサラのヴァルボリをクリアしました。
 先週末はキッズのお誕生会にお呼ばれしてきました。そして日曜日は天晴れな太陽の下で今年初めてのミニゴルフをしました。 最近は春なので、勉強がほとんど進みません。(言い訳になってないが・・・)でもスウェーデン語の授業だけは真面目に行っています。 懸案となっていた「天皇来端に伴うテストの件」は、テストの日を24日にずらしてくれることになり、無事にアウフヘーベンされました。よかった、よかった。
 都合のいいことに、「移民のためのスウェーデン語」が終わった直後から「第二原語としてのスウェーデン語」の授業が始まります。夏休みが明けてからしか コースがないと聞いていたので、うれしびっくりです。少しでも長く勉強できるのはありがたいことです。まずは24日のテストに受からないといけないわけですが。
 先日リンダ・ダーリン−ハモンド教授の息子のショーンからメールが来て、7月中旬に東京に来るのだそうです。僕は8月までスウェーデンにいるので会えないのですが(残念!!)、 滞日中は僕のマンションを使ってもらうことになりました。ちょうどその頃はオランダからマイケルが遊びに来ます。夏に向けての計画もここへきてにわかに動き出しました。
それでも結構大人しく飲みました
ヴァルボリのボートレース
吹き消すろうそくが少なくていいですなぁ
6才のお誕生会

第138報 2007年05月24日(木)
 'cause U were here!! > 写真
 昨日は天皇皇后両陛下がウプサラにお越しになり、リンネ生誕300年祭記念式典にご参列されました。僕も昼過ぎにご挨拶をする時間をいただき、天皇皇后両陛下と ノーベル賞受賞者の野依さん、スウェーデン国王と王妃、そしてヴィクトリア王女と直接お話をすることができました。
 礼儀の鎧を被っているかのような両陛下とは対照的に、スウェーデン王室の方々は拍子抜けするほどフランクでした(それでも礼儀を損ねないところがすごいところ)。ヴィクトリア王女はひと通り我々の専門を尋ねた後、「何でスウェーデンを留学先に選んだの?」と聞いてきました。 そこで、間髪入れず"Because YOU were here!!"(あなたがここにいたからだよ!!)と応えておきました。王女は一頻りびっくりした後、「1ポイントあげないとね」と。このポイントは有効期限とかあるのでしょうか。にしても、よく言ったぞ、僕。その後、ヴィクトリアは日本に行ったときのことを話し始め、 外交官や外務省の職員とカラオケに行ったけど、自分は歌わなかったと言っていました。
 今回は天皇陛下の学術的なご旅行だそうで、普段は旅団の団長は首相経験者か外務大臣経験者が就くそうなのですが、今回はその役としてノーベル賞受賞者の野依さんが随行されていました。 野依さんは「留学時代の友達や経験は絶対将来役に立つから」と励ましてくださいました。僕が「大学にいる間に、何をすれば野依さんになれますか?」と尋ねると、「う〜ん、ノーベル賞がとりたいの?ノーベル賞は、ほら、運もあるから。」とのお答えでした。運を磨かないといかんな。 さらに、誰もやっていない研究をしないといけないから、誰も見向きもしていないようなことにしっかり取り組みなさい、と仰いました。 現在「重要だ」と言われていることは、すでに誰かがやっているので若い人がやっても仕方ないし、これから追い越すのは難しい。 研究の寿命は30年だから、少なくとも30年間は世界をリードできる研究対象を見つけなさい、とのことでした。ノーベル賞と一緒に授与された金の指輪も見せていただきました。
 皇室の方々とのご挨拶の後はヴァクサラ広場の特設ステージで行われたショーを見に行きました。フラワーアレンジメントと尺八、ダンス、動物の練り歩き??などが交じり合った不思議なステージでした。 「新しいいのち」というテーマで、四季のうつろいの表現から始まり、芽生えや開花などを抽象的に表現していました。
 天皇来端を記念して、一昨日はウプサラ大学で日本とスウェーデンの研究・教育交流に関するセミナーに招待されました。日本とスウェーデンの交流を支援している基金や財団の方々と、両国で共同研究をしている 研究者の方々が参加されて、交流の課題などを話し合いました。セミナーの後は日本からいらしていた先生とスウェーデン料理屋に行き、「しゃぼんだま談義」をしました。 中学・高校と化学が大の苦手で、スルーしてきたのですが、先生のお話を聞いて、たくさん質問して、新しい世界に触れることができました。最先端にいる人はその分野の魅力を伝える力があるのだな、と思いました。
 そして今日はスウェーデン語の国家テストでした。クラスのみんなは昨日と一昨日に受験しているのですが、僕は天皇陛下の来端のために今日特別に受けされてもらいました。僕が試験をしている間、先生は同時並行で 採点をしました。そして、最後のパートが終わった瞬間、「はい、合格ね」と。なんじゃそりゃ。「いつでも7割」な僕ですが、これで無事に次のステップに進めます。
 おじいちゃんとおばあちゃんからお小遣いをいただいたお陰様で、来週はヨテボリに行けることになりました。ヨテボリに留学していたときに家庭教師をしていた子が調子が悪いのと、教科書執筆の際に写真を撮らせてもらった高校で卒業式があること、 そして、前に勤めていたエクランダ基礎学校でもそろそろ生徒が卒業するので、忙しいですがいろいろ顔を出して来たいと思います。
スウェーデン語学校も次のステップへ
完璧な出来栄えのビニール袋ピザ
この時期にウプサラにいたというのは、なんともラッキーなことです
皇后陛下とご挨拶

第139報 2007年05月27日(日)
 出会いと別れの初夏 > 写真
 今週はイベントが盛りだくさんです。そして、とっても忙しい週です。天皇陛下来端の直前、ウプサラ大学の学長室から電話があり、リンネ生誕祭の日本語訳原稿の校正を頼まれました。その日はスウェーデン語学校で最後の授業の日だったのですが、 ウプサラ大学にはずいぶんお世話になっているので引き受けることにしました。まぁ、一時間くらいで済むだろう、と軽く見ていたのが大きな誤算で、結局全日を校正作業に費やす羽目になってしまいました。 その影響でスウェーデン語の授業には行けず、ついに1週間まるまるスウェーデン語の勉強をしないまま国家テストを受けたのでした。まぁ、受かったので結果としてはさして変わらなかったのですが、忙しい週の初めに急な仕事が入ってきたので、その後も予定が後へ後へとずれていくよろしくない展開になりました。
 金曜日はそんなこんなで10日ぶりくらいに会ったクラスメートたちと「卒業旅行」に出かけました。ウプサラ市立公園の川べりから出る小舟が1時間少し川を下り、メーラレン湖の湖畔にあるお城まで連れて行ってくれます。 この日は曇り空で雨が降ってくるのではないかと心配していたのですが、最後まで持ちこたえました。小舟の上ではそれぞれ持ち寄ったお菓子やフルーツ、パイなどを食べながら、お互い片言の移民語を話しつつ、とても陽気に時を過ごしました。 目的地のお城ではフィンランド訛りのガイドが「チューゲ」(数字の「20」。スウェーデン語ではシューゲと発音するはず)とか言いながら丁寧に説明してくれました。武器を集めるのが趣味だった昔の王様が建てたお城で、中にはおびただしい数の 鉄砲や大砲、刀剣などが展示されていました。スウェーデン語の同級生たちは夏休みに帰省したり、集中コースを受けなかったりする人もいるので、半分くらいがこれでお別れになります。最後に楽しい時間を持てたのはとてもうれしかったです。でも、級友の名前を殆ど覚えていないというのは内緒です。
 今日はストックホルムに出かけてきました。東京からエコツアーのご一行様が来端するというので、お手伝いです。ところが、スカンジナビア航空が大規模なストライキ中で、飛行機が飛ばず。従ってご一行様もコペンハーゲンで2泊も足止めをくっている状態でした。 幸いひとりの参加者は別便で到着したので、参加者1人対主催者5人というアンバランスなツアーに付き合うことになりました。今日のメインは自然ガイドによるストックホルム・ツアーで、王様公園から王立ユールゴーデン島のあたりを草木の植生や魚、鳥、動物の生態という視点から案内していただきました。 ストックホルムはバルト海の海水とメーラレン湖の淡水が交じり合う所に位置しているので、魚類が豊富なのだそうです。おばあちゃん達が来たときのガイドは「首都でサーモンが釣れる国はスウェーデンくらい」と言っていたので、よほど珍しいのでしょう。そして、魚が豊富なので鳥が集まり、その鳥を餌にする猛禽類も集まるという具合に、 都市でありながら自然が豊かに生きている街なのだそうです。そんな話を聞きながら、よく晴れた昼どきのいい時間を過ごしました。
 明日もツアーに帯同して学校開発庁へ行きます。そして、明後日からヨテボリの旅へ出発です。
同級生の大半とはこれでお別れです
Sfiの卒業旅行
王立ユールゴーデン島の古木の中で遊んでいました
小さな自然と戯れる子ども

第140報 2007年06月13日(水)
 ヨテボリが呼んでいる > 写真
 スウェーデンの学校は早くも夏休みに入ります。スローライフもいいですが、さすがに怠けすぎだと思います。つい最近まで雪やあられが降っていたはずなのに、来週末はもう夏至祭です。 スウェーデンにも四季があると言われますが、一雨ごとに暖かくなっていって、アジサイとかたつむりが夏を運んできてくれるというようなしおらしさは微塵も感じられません。冬の終わりに急転直下を繰り返す激しい揺さぶりが来た後、「はい、夏です」みたいな感じです。
 5月の最終週はアレクサンダーのお姉ちゃん(ハンナ)が高校を卒業するというので、ヨテボリまでお祝いに出かけてきました。スウェーデンでは、高校の卒業式を「これでもか!」というくらい盛大に祝います。昔は高校を卒業するということは珍しいことで、社会的にもとても価値のあることだったのでしょう。 そんな伝統が反映されてか、面白いしきたりがたくさんありました。高校生たちは午前中に最終成績(これは大学入学の選抜用件になる)を受け取り、成績優秀者の表彰と奨学金の授与が行われました。その頃、家族や友達は卒業生の子どもの頃の写真を貼り付けたプラカードを掲げて校舎の外で待っていました。そして、正午すぎにアカデミック・コスチュームを着た生徒たちが司会者の呼び出しに応じて現れると、 プラカードを高く上げて喚声を上げながら出迎えました。祝いに来た人たちは卒業生とハグをし、青と黄色のリボン(スウェーデンの国旗の色)をつけた花やら人形やらを首にかけてあげます。卒業生はシャンパンをあおったり、求めに応じて写真に納まったり、それはそれは大忙しです。ひと通り騒ぎ倒した後、家族はパーティの準備をしに一足先に家に帰りました。その間、卒業生は用意されたリムジンやトラックやオープンカーに乗って、街中を大音量の音楽をかけて叫びながら練りまわります。 道行く人々は手を振ったり、叫び返したりして一緒に雰囲気を楽しみます。そして、夕方には声の嗄れた卒業生が帰宅し、パーティが始まります。パーティではハンナの生い立ちの写真をプリントしたケーキが用意されていました。ハンナは成績がとても良かったらしく、成績優秀者の奨学金をもらっていました。 パーティは夜更けまで続きましたが、主役のハンナは10時くらいには同級生と街に繰り出すということで出かけていきました。そんなこんなで、街中からお祝いされるスウェーデンの卒業式に参加してしまいました。校長の話を聞いて、証書を受け取ってさようなら、みたいな日本の卒業式風景とはえらい違いでした。
 ヨテボリでは前に家庭教師をしていた子どもを訪れたり、エクランダ基礎学校を訪れたり、パティレ市の教育長とお会いしたりと結構動き回りました。エクランダでは学校の裏山にフリスビー・コースを作ったそうで、体育の先生と一緒に試してきました。 教育予算が削られている中での厳しい設備投資なので、道具は中古品を半額で揃え、切り倒した木は業者に頼まず、生徒たちが協力して運び出したそうです。技術の先生が手作りしたという看板がコースのスタート地点にきれいに取り付けられていました。 たかだかフリスビー・コースですが、生徒と先生が知恵と力を出し合っていいものを作ろうとするこの学校の雰囲気は、いつ訪れても感動します。
 そして、やっぱり今回も「うちの学校でまた働いて」という耳が痒くなるオファーを受けました。 前回ヨテボリに留学したときは、クローナが安かったので、月給15万円くらいになってしまう計算だったのですが、今の為替レートなら25万円くらいにはなりそうだから、ちょっと考えてもいいかな、とか思ったりもしました。 でもやっぱり、まずは日本に帰らないと。
 ヨテボリから帰ってすぐの金曜日の夜、とても悲しい知らせが入りました。そのエクランダ基礎学校の教え子で、現在高校1年生の男の子が原付で大きな事故を起こし、危篤状態だというのです。 ヘルメットは被っていたものの、首にかけるベルトを締めていなかったので、車にぶつかった時にヘルメットがふっとび、頭を強打したそうです。また、二人乗りをしていた上に相当激しくぶつかったらしく、骨折箇所もたくさんあるようです。事故はエクランダ地区の中で起きて、事故の1分後には現場に同級生が駆けつけていたそうです。 同級生や先生方とは連絡を取り合っていますが、10日ほど経った今でも危機的な状況は変わらず、心配です。先週末に再びヨテボリを訪れてお見舞いをしようと計画したのですが、今はまだご両親が望んでいないということでやめました。回復してくれることを願っています。
 新しいスウェーデン語のコースが始まりました。まだ2回しか行っていないのですが、うわさどおりの宿題の多さです。来週はお父さんお母さんとミュンヘンに出かけてしまうので勉強になりませんが、振り落とされないようにがんばりたいと思います。そして、 今週金曜日は観察先の小中学校の終業式と大学のセミナーの最終回があります。生活のすべてが夏休みモードになります。
大きくなったゆうきは、「多感な年頃」真っ只中です
カミラとゆうきとたくや
日本でもこれだけ盛大に祝わってくれるなら、高校中退者が減るかも?
みんなから祝福を受けるハンナ


ホーム 定時通報