定時通報

第126報 2006年11月12日(日)
 生産と消費、創造と再生産について > 写真
 先月末にストックホルムで行われた「学校フォーラム」は大盛況でした。修論の時にお世話になった学校開発庁の方々にもお会いできました。 教育関係の企業や非営利団体のブースもたくさん出ていて、学校教育の拡がりが視覚で理解できるようでした。学校フォーラムと同日程、同所では全国の教育長の会議が開かれていて、 ゼミの同僚を通じて特別に参加させていただきました。大学での理論的研究と学校での実践的課題との接近というのは万国共通の課題になっていますが、 現場の最高責任者としての教育長という立場の方々は鋭い視点をお持ちで、とても充実したお話ができました。
 「学校フォーラム」で感じたのは、学校教育が商業ベースに乗り、急速にサービス化している現状です。展示ブースではキャンディやら手提げ袋やらボールペンやら、 さらにマグカップに野菜の鉢植え、極めつけにはロゴ入りサッカーボールまで配っていました。これらのお金はどこから来ているのかと問えば、教科書を購入した 学校の予算から、ひいては税金から支払われているのです。税金がサッカーボールになって先生たちに配られているとは、誰が想像するでしょうか。僕は別に正義漢でもオンブズマンでもないので、 貰えるものはありがたく頂戴しましたが(笑)
 しかし、興味があるのは、先生たちが学校フォーラムで何を学んでいるのかという点です。展示場ではいくつかの学校が特色ある活動についての展示をしていました。 しかし、よく話を聞いてみると、そのほとんどが生徒・教師集めに必死な私立の学校でした。先生たちはそれぞれの展示物をものの5分も見ずに、次から次へとブースを移動していきます。 「インスピレーションを得た」と話す先生もいらっしゃいましたが、果たしていかほどでしょうか。それらの活動がどういう環境で、どういう経緯で行われているのかを5分で問うのは俄然無理な話です。
 日本の官製研修も似たりよったりのところはありますが、現職教育の問題は消費一辺倒であるというところにあると思います。 厳しい言い方ですが、先生たちは新しいものを何も生んでいないということです。(日常の教育実践の価値は大いに認めていることは言うに及びませんが、現職教育の問題を指摘する文脈であるという点を念のため記しておきます) 生産は消費であり、消費は生産であるといえるように、活動には相反する二側面が常に同時に成り立っているとも言えます。 しかし、社会の構造に寄与する新しい次元での創造活動を生産のレベルとして考えると、それ以下のレベルでは消費と再生産が行われていることになります。 自分の置かれている枠組み自体を再構築し、革新へと導く活動でなければ、結局それは今までの世界内に留まることになります。
 スウェーデンの学校開発理論が現場で上手くいかない理由はここにあると思います。先生たちは学者が唱える美辞麗句を日々の活動を装飾するのに利用しているだけなのです。 学者は現場で上手くいかないのを理論どおりに実践していないからだとします。しかし、学者の理論を消費するだけでは、上手くいったところでせいぜい 細かな具体事例を生み出すだけの活動になってしまいます。学者の理論に現場が直接アクセスし、理論自体を破壊し、新たに生み出すような働きかけが必要だと思うのです。
 と、「学校フォーラム」の帰りにゼミの同僚に話したところ、「その通りだ!」と言ってくれました。スウェーデンに来て初めて研究同志ができた瞬間でした。  
学校フォーラム、全国教育長会議でのひとコマ
理論と実践の接続問題は万国共通
2週間経った今でも雪が路肩に残っています
早過ぎた初雪

第127報 2006年12月02日(土)
 太陽さん怠けすぎです > 写真
 11月1日の初雪は、やっぱり勘違いだったようです。最近は5度から10度くらいの日もあり、この時期としては暖かく感じます。 どんどん日が短くなってきて、8時半頃に日の出、3時には日の入りになってしまいます。太陽さん怠けすぎです。
 先週はロンドンへ行ってきました。幼児教育の研究をされているグループが日本からいらっしゃるということだったので、お邪魔ながらご一緒させていただきました。 短い日程の中で国の教育水準局(Ofsted)から国立教育研究所、統合型施設まで、幅広く見せていただき、とても勉強になりました。 Ofstedのインスペクションのやり方や成果主義には方々から批判があります。一方で、公教育の質を保障しようと考えたときに未だに満足のいく制度が 開発されていないというのもまた事実です。批判はできても、誰も責任をもてないという状況で、それでも大きな一歩を踏み出したという点からは評価に値すると僕は思っています。 しかし、このイギリスの挑戦をより効果的な制度へ導くためにはどうしたらよいかということも考えなければなりません。Ofstedインスペクションへの僕の批判は、 枠組みだけは立派なものができたが、実行部隊へのサポートが不在であるために流れが断ち切られているということにあります。せっかくの水路も逆流させては意味がありません。 教育システムが世界化していくというのは、競争的環境に投げ出されるという側面もありますが、境界を越えて知恵を出し合えるというメリットもあります。 スウェーデンは、そして日本は、このシステム開発にどのような貢献ができるのでしょうか。
 12月に入り、一気にお祭りモードです。週末はパーティーで埋まり、平日もイベントが盛りだくさんです。スウェーデンではクリスマスより一足早く、13日にルシア祭があります。 このお祭りの背景にはクリスチャニティの教訓的逸話があります(詳しくはSWEDEN.SE「サンタルチア 歌詞と解説」参照)。面白いのは、祭りを今の形に仕立て、スウェーデン全土に広めていったのは学校の先生たちだったということ。 寒くて暗い生活を何とか盛り上げようと考えたのでしょう。先人の知恵にただ敬服するばかりです。  
誰でも気軽に意見ができるのがいい雰囲気です
STEPグループのセミナー
滞在時間の半分はカフェで原稿作りでした(汗)
オックスフォードにて

第128報 2006年12月08日(土)
 慢性金欠病が疼きます > 写真
 今日は留学100日目の記念日です。日本を出国した日から毎日家計簿をつけているのですが、この100日間で出費した総額は約130万円。大幅な予算オーバーです。 130万円という数字は前回留学時の総額のおよそ6割にあたり、前回の倍くらいのペースで出費している計算になります。出費過多の原因は主に3つあります。第一は為替レートの悪化。前回留学時は1クローナ12円程度でしたが、現在は17円まで 値上がりし、円建てで生活している僕にとっては約40パーセントのコスト増になります。第二は寮費の問題。ヨテボリにいた頃には、月に3万円程度の寮費で今の倍の広さが与えられていましたが、現在は6万円近く。ウプサラは学生数に対して寮が少ないので、住む場所があるだけでも感謝しなければなりませんが、 それにしても割高です。また、東京の部屋の管理費も納めないといけないので負担感が増します。第三の問題は研究費の問題。修士論文を仕上げてからというもの、興味の幅が一気に広がった感じで、読書量もそれまでの数倍に増えました。今月の書籍代は生活費を圧迫していて、キャベツを買うか本を買うかと日々闘っています。 加えて、学会やらミーティングやらで移動も頻繁になり、交通費も馬鹿になりません。書籍代と交通費は前にヨテボリにいたときに比べると安くなってきたと感じます。書籍に対する減税や格安航空会社の乗り入れが奏功しているのでしょう。それにしても、為替レートの上昇によって相殺される程度です。 前にヨテボリにいた時には「若いときの貧乏(苦労)は買ってでもしろ」という格言に則って貧乏生活を楽しむ余裕もありましたが、今回は「若い自分への投資は後のモビリティに乗数的な影響を与える」と考えているので焦ってしまいます。経済学憎し。と、ぼやいてみました。
 そう、考えたらホームシックの時期なんです。高校のときの日本史の先生が「数字の3の法則」というのを説いていて、ホームシックになるのは3日、3週間、3ヶ月、3年が多いと言っていました。恐ろしいかな、100日目の今日は3.3ヶ月目にあたり、まさに周期のど真ん中です。 僕は大学に入ってから根無し草のような漂流的を続けているので、日本が特別恋しいとかいうことは感じないのですが、こちらの生活への慣れと飽きから現状への不満足感が生まれているのかもしれません。もしかしたら、どこかで何かもっと有意義な生活ができるのではないかと。 お金のこともそうですが、現状を変えられない人が未来を拓くことができるとは考えていないので、まずは今の生活を見つめなおすことが必要なのかもしれません。
 さて、お祭りモードのスウェーデンではたくさんイベントが行われています。12月1日は大学関係者のためのパーティに招待され、ウプサラ城でディナーをいただきました。400人はいようかという大混雑の中で、手際よく配膳するスタッフに感激しました。 ディナーの後にはダンスがあり、酔っ払った勢いでたくさん踊ってきました。ウプサラ城の窓越しから見る市街の夜景はとてもきれいでした。数百年前にも同じ場所で王族や貴族がパーティをしていたんだろうと想像してみたりして、とても楽しい夜でした。
 翌日の土曜日にはスウェーデンでの指導教官、ウルフのお宅でディナーに招待されました。ノルウェーのオスロ大学から来ていた客員助教授が帰国されるというので、ちょうど歓迎会もやっていなかったからご一緒に、というお誘いでした。 お食事の後にはスウェーデン、ノルウェー、日本の歴史の話が向き、ノルウェーに初めてピザ屋が来たときの話やミシェル・フーコーがウプサラにいたときの生活の様子などを伺いました。また、徒弟制の残るアカデミーの話題もありました。 ヨテボリ大学で数年前に定年した教育学者の老人が、身寄りに引き取り手もないまま最近亡くなったとのこと。この老人は身体の自由が利かなくなったときに、家族の誰からも面倒を見てもらえず に「老人の家」に自ら入ったそうですが、この老人の弟子がストックホルムから毎週2回ずつ訪れて面倒を見ていたそうです。ふるい師弟関係というのはこういうものなんだなぁ、と考えさせられました。 血縁が見捨ててもついてくるお弟子さんがいる老人は幸せだったでしょうし、このお弟子さんも師匠を看取ることに公私の境を越えた義務以上の感覚があったのでしょう。哀れみと喜びとが入り混じった、何ともいえない気持ちになりました。
 1月4日から約1ヶ月間、日本に帰国することになりました。もともと出国前から予定済みのスケジュールですが、今から楽しみにしています。  
普段は非公開の部分も自由に立ち入ることができました
ウプサラ城内のホール
クリスマスはもうすぐ
季節を告げるアドベント花火

第129報 2006年12月19日(火)
 葬式の巻き寿司 > 写真
 今年はルシアを4回も見てしまいまいた。朝起きると寮の上の階から歌声が聞こえ、覗きに行ってみると20人はいようかという若者たちが白装束にろうそくを持った格好で歌っていました。 学校に行くと子どもたちの可愛らしい舞台があり、教育学部に行くと学生たちの披露がありました。締めくくりは夜に大学本堂で行われたウプサラ大聖堂聖歌隊のパフォーマンスです。 聖歌隊には観察をさせてもらっている学校の生徒が入っていて、この日の舞台ではサンタの子役として大活躍していました。ちょうど冬至の一番暗い時期ですから、光があり、音楽があり、人々の温もりがある文化活動は効能豊富な心のお薬になりました。
 どこのコミュニティも納め会の時期で、金曜日はSTEPグループの、今日は教育学部と「移民のためのスウェーデン語」の年納めでした。この時期は決まってバイキング料理が出されるのですが、冷えたゆでたまご、冷たいサーモン、魚の酢漬け、チーズ、サラダと おなかが冷えてしまいそうな料理がずらずらっと並びます。スウェーデン人が雪の中でアイスを食べているのも見ますが、なぜ寒い時に冷たいものを食べたがるのか、不可解です。今日はその料理を目の前にして、日本でいえば葬式の後に決まって出される巻き寿司のようなものなのだろうか、 と繋げてしまいました。
 先週は結局食費に一銭も使わずに凌ぎました。小麦粉があったのでパンを焼き、残っていたインスタント麺に「うどんの素」を入れておいしくいただきました。納会の残り物をかき集めてはリスの如く冷蔵庫に貯蔵しています。この調子でまだまだいけます。と、思っていたら、日本から 「支援物資」ばりのクリスマスプレゼントが届きました。誰からかはひみつです。感謝感激で早速ご飯を炊いてたらふくいただきました。ちゃんと誰かが見守ってくれているのですね。
 何と生活感のある定時通報でしょう(笑)。今週末からは研究者を訪ねてハルムスタッドへ、そしてスウェーデン式クリスマスを楽しみにヨテボリへ出かけてきます。時期を見計らっていたのか、せめてもの演出か、今日ようやく雪が降ってきました。 ホワイトクリスマスへの期待が膨らみます。
学校では大人しいベンヤミンも舞台では本領を発揮
この日4度目のルシアは聖歌隊
まさに、支援物資です
サンタママからのプレゼント

第130報 2007年01月03日(水)
 クリスマスと正月が一気に来た > 写真
 クリスマスからお正月まで、引きこもっているかパーティかの両極端の生活でした。写真の数も300枚を越えて選ぶのに一苦労です。 にしても、この数日は本当に楽しいことだらけでした。
 12月22日からクリスマス旅行に出かけました。一泊目はカタリーナの家族が住むハルムスタッドへ。一年ちょっと前、修士論文を書くときに学校を紹介してもらったり、お宅に呼んでもらったりと お世話になりました。今回はカタリーナが東大に来たいというのでその相談も兼ねて訪れました。クリスマスの準備を一緒にやったりして、なんだかスウェディッシュ・クリスマスの裏側を見せてもらいました。
 そして23日から26日まではパティレのアレクサンダー一家へ。クリスマスイブは母方の家族と「大人の」パーティをしました。カンカラだかカラカンだか忘れましたが、恒例のドナルドダックも見ました。日本の紅白のようなものでしょうか、スウェーデン人は毎年同じ アニメをクリスマスイブの午後3時から見るのです。毎年同じで何十回も見ているわけだから、子どもも大人もストーリーから歌からセリフから全部暗記しています。みんなでテレビに向かって暗唱大会をするというなんとも不思議な人種です。
 クリスマスの日は父方の家族と、今度は「若者の」パーティです。大音量の音楽で泥酔踊りをする人たちと、それを大笑いで見る人たち。壊れたスウェーデン人たちは延々朝5時まで騒いでいました。
 そして、ウプサラへ帰って引きこもり生活を数日して、大晦日は日本人の年越しパーティに誘われました。ウプサラやストックホルムに住んでいて、小さな子どもがいる4家族が来ました。 テーブルの上には角煮、羊肉、春雨サラダなどが並び、とても賑やかでした。夕方から食べ始めて、気がついたら年明け5分前になっていました。こちらは新年の午前0時には打ち上げ花火をするので、みんなで焦って外に出ました。 花火の後には「年越しそば」ならぬ「年明けそば」をいただきました。翌日にはみんながが持ち寄ってきたおせち料理をいただきました。伊達巻や岩石たまご、煮豆など、どれも手が込んでいて本当においしかったです。
 パーティ三昧の日々で、本読みが進まないのです。明日から日本へ一時帰国しますが、超過密スケジュール(過労死モード)なのでまた勉強が遠のきそうです。
 あ、そうそう、忘れずに書いておかなければならないことがありました。

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 では、日本で会いましょう。
スウェーデン人の正体を見てしまった…。
スウェディッシュ・クリスマス
クリスマス、真っ赤なのは家計簿だったりして
おかあサンタの出番です


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